2008年02月06日
古本ぐるいの戯言
~古本のにおい
現在、北海道の地方での明治・大正期に詳しい研究者は少なく、よって歴史の探求も次第に殖民時代が中心になると、図書館巡りや古本探しがひとつの趣味となった。
もともと函館と松前に育ったこの私、小さい頃から古いものが身近にあり、通学した小学校が重要文化財だったくらいで、「古いもの」への思いが自然と身に付いたのか、古建築や古物に興味を引かれ、特に古本には執着にも似たものがあって、周りからは「オタク」とか云われているが、入手するものは後の研究となるものばかりで、余り触れられないまま古本屋や資料室の棚隅にあるよりは、ひとつの文化財として「利用し活用する者が所有すべし」が持論である。
しかし、思わずニヤリとする古本との出会いもあり、悦びを感じることも多く、ちょっと危ういところもあって、何気に購入した古本が著名人の旧蔵であったり、サイン本や稀覯本にレア本など、しかし、一番の楽しさは思わぬところから長年の疑問が判明したときで、思わずヤッタネであって、資料の一つひとつの点と点、線と線とを結んで行く作業はことのほか楽しい。
近頃では研究に要する文献資料も借受が難しくなり、地方というハンディもあって、購入する古本の下敷きとなりそうで、所蔵する文献も古本屋ですらめったにお目にかかれないものも多いことから、今では稀に「売って下さい」との問い合わせもあり、「見つけたら知らせてネ」など、業界では結構知られているらしい。
さて、これら所蔵の中には明治中期の農業雑誌「北海之殖産」があり、全巻揃いは極めて稀な自慢の一品で、その旧蔵は札幌農学校第二期卒の「宮部金吾」博士で、同期には内村鑑三や新戸部稲造らがいて、また、松浦武四郎とも親交があったという。
後に、この「北海之殖産」の続刊「北海道農会報」を入手したところ、それには「Hanzawa」のサインがあって、これは現在の納豆製造の基礎を確立した「半澤洵」博士であるが、今の「文化納豆」とはそのことであり、何よりも宮部博士の愛弟子であった。
そしてこれらは遇々にも、以前の睦ましい師弟のように、今は私の書架に並んでいる。
宮部蔵書印の「北海之殖産」と半沢サインがある「北海道農会報」

第4回古本との出会い
北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
現在、北海道の地方での明治・大正期に詳しい研究者は少なく、よって歴史の探求も次第に殖民時代が中心になると、図書館巡りや古本探しがひとつの趣味となった。
もともと函館と松前に育ったこの私、小さい頃から古いものが身近にあり、通学した小学校が重要文化財だったくらいで、「古いもの」への思いが自然と身に付いたのか、古建築や古物に興味を引かれ、特に古本には執着にも似たものがあって、周りからは「オタク」とか云われているが、入手するものは後の研究となるものばかりで、余り触れられないまま古本屋や資料室の棚隅にあるよりは、ひとつの文化財として「利用し活用する者が所有すべし」が持論である。
しかし、思わずニヤリとする古本との出会いもあり、悦びを感じることも多く、ちょっと危ういところもあって、何気に購入した古本が著名人の旧蔵であったり、サイン本や稀覯本にレア本など、しかし、一番の楽しさは思わぬところから長年の疑問が判明したときで、思わずヤッタネであって、資料の一つひとつの点と点、線と線とを結んで行く作業はことのほか楽しい。
近頃では研究に要する文献資料も借受が難しくなり、地方というハンディもあって、購入する古本の下敷きとなりそうで、所蔵する文献も古本屋ですらめったにお目にかかれないものも多いことから、今では稀に「売って下さい」との問い合わせもあり、「見つけたら知らせてネ」など、業界では結構知られているらしい。
さて、これら所蔵の中には明治中期の農業雑誌「北海之殖産」があり、全巻揃いは極めて稀な自慢の一品で、その旧蔵は札幌農学校第二期卒の「宮部金吾」博士で、同期には内村鑑三や新戸部稲造らがいて、また、松浦武四郎とも親交があったという。
後に、この「北海之殖産」の続刊「北海道農会報」を入手したところ、それには「Hanzawa」のサインがあって、これは現在の納豆製造の基礎を確立した「半澤洵」博士であるが、今の「文化納豆」とはそのことであり、何よりも宮部博士の愛弟子であった。
そしてこれらは遇々にも、以前の睦ましい師弟のように、今は私の書架に並んでいる。
宮部蔵書印の「北海之殖産」と半沢サインがある「北海道農会報」
第4回古本との出会い
北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
Posted by 釣山 史 at 20:34│Comments(0)
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