さぽろぐ

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2008年08月23日

歴旅・温泉、下川編

◆オススメの濁り湯

 先だって数年ぶりに下川町の「五味温泉」に行って来た。途中、養蜂家がミツバチの世話をしていて(はじめて見た)、パチリ!!
 さて、有名だった「下川鉱山」は昭和8年に地元の浅沼関市が転石を発見し、昭和16年には銅山として三菱鉱業が本格操業し、戦後に国内で3位の産出を誇った。この鉱山の保養所だったのが「五味温泉」で、その由来は明治38年に天皇・御料地であった当地の管理人「五味勘三郎」が狩猟に出かけ、雪中に湧き出る泉を発見したことによる。
 源泉は14.6℃の加温だが、5.8phと国内ではめずらしい含炭酸-重曹泉の濁り湯で飲用もあり、サイダーのやや気が抜けたような味。炭酸ガスが毛細血管を拡張して血液の循環をよくする「心臓の湯」として知られる。

  泉質=含二酸化炭素-炭酸水素塩泉(加温・循環)
  日帰り湯       ●大人 \ 400円
               ●小人 \ 200円
  宿  泊(暖房料別) ●大人2食付/6195円~7350円
  食  事        ●名産の手延べうどん、ヤマベ丼
               【蜂蜜飴】も売ってる!

              北海道上川郡下川町パンケ2893番地
                TEL:01655-4-3311 / FAX:01655-4-3608 
                財団法人下川町ふるさと開発振興公社

  ~その他  施設は小さいが清潔で、しずかな山野の一軒家的な家族向けの宿。


















○知ってるかな?
 下川町はオリンピックや世界大会で活躍したスキージャンプの「岡部孝信、葛西紀明、伊東大貴、伊藤謙司郎」の4人を輩出したウインタースポーツの町で、ほのぼのマンガ「ウッシーとの日々」で有名な「はた万次郎」が住むまち。


第75回オススメのにごり湯

北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/   

Posted by 釣山 史 at 21:15Comments(0)旅と温泉

2008年08月17日

鴎亭先生、終戦前後のエピソード

迷い郵便、戦前・戦後
鴎亭先生のエッセイ

 私の心のふるさと「松前町」が生んだ偉大な芸術家、現代書の父・「金子鴎亭」。彼が終戦前後のエピソードを描いたエッセイ「貴重な資料の集大成」の生原稿を、折しも終戦の日の8月15日に入手した。
第74回鴎亭先生

北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/





































   

Posted by 釣山 史 at 08:35Comments(0)読書と北海道文学

2008年08月07日

漁業の町、もんべつ

~子ども達へ伝えたい「北海道の歴史と文化」
 もっと知ろう、残そう郷土の歴史語り公開中~歴史ブログサイト
  《北海道ブログ チャンネル北国tv歴旅・温泉、そしてチョッと釣り》
http://hokkaidonobunka.sapolog.com/


 歴旅・ブログ目録:郷土もんべつの漁業とお魚のお話し
 
○もんべつのお魚と漁業
                          昭和15年頃の紋別のカニ缶工場
 29網走での捕鯨
  オホーツクでの近代捕鯨の始まりと紋別での終焉。
 41ニシン角網のはじまり
  かっては北海道を代表したニシン角網漁の発祥。
 58もんべつのホタテ
  全国的にも有名な紋別のホタテ漁の歴史。
 66こんぶの話し
  明治初期、北見地方の昆布漁のお話し。
 67課外学習、お魚へったの?
  どうして水あげがへったの?漁師さんの数は?
 70もんべつのサケ・マス
  鮭鱒漁業とその加工のはじまり。
 72カニのお上りさん
  毛ガニの浜揚げ、否、浜上がり。
 73もんべつのカレイ
  もんべつマガレイとオヒョウの歴史。
109紋別のカニ(再)
  カニ拾いと蟹工船のモデル
111明治・大正の紋別港
  注目を浴びた紋別港桟橋問題。
113ブランドまがれいの背景(再) 
 ブランド魚・もんべつマガレイの歴史的な背景。 
114危険だった北洋漁業
 遭難が相次いだ昭和30年代の北洋操業。
133先進的な紋別の漁業
 とても先進的だった紋別水産界、漁業と水産加工の歴史。


第-号外  

Posted by 釣山 史 at 20:27Comments(0)ブログ目録

2008年08月07日

もんべつのカレイ

紋別のカレイ(校正)  

○動力船の導入とカレイ
 紋別地方の最初の動力船は、紋別漁業組合が大正3年春に本州で建造した「紋別丸/5㌧10馬力」のホタテ監視船だったが故障が多く、翌年には高嶋春松がこれを購入してマガレイ漁を行いながら紋別~湧別間の輸送を始めた。
 こうして紋別にも漁業近代化の波が現れ、大正12年には松田鉄蔵(後の代議士)が動力船「第三寅丸」を操業させて、以後、小樽・室蘭からも底びき網漁船が回航し、動力船での漁が急増したが、この時はマガレイが大量に漁獲された。
 当初、松田は川氷を使って施氷していたが、大正14年に氷池をはじめ、昭和4年には道内でも数番目という冷蔵庫を建設して、大きいものは道内外に鮮魚として発送し、小さいカレイは蒲鉾にした。また、「焼きガレイ」の加工を目的とし、昭和13年には「紋別加工組合」が発足した。
 後にマガレイがオホーツク海を中心として全道的に注目されたのは、昭和30年代に入って群来の無くなったニシン漁に代わって、沿岸でのカレイ刺し網が普及したためで、このように古くから大量に「もんべつマガレイ」は流通し、これらによって広く知られるようになったと思われる。
 以上のように「紋別マガレイ」は有名となって都市部の消費地では高値で取引されようになったが、実際に紋別ではヒレグロが一番多く漁獲され、平成17年で781㌧と全道の30%を占め、次にアカガレイが246㌧、マガレイ161㌧とつづいて全種・総量で1,462㌧が水揚げされて、これは網走管内の45%にも及ぶ。ヒレグロとアカガレイは冬がおいしく主に底びき網と刺し網で漁獲され、マガレイは春は水っぽく、おいしいのは秋以降で、底建網と刺し網により漁獲される。
 マガレイは大きく分けると道北の日本海で産卵し、そのまま成長するものと、オホーツク海へ回遊して成長し、また、日本海へもどる2群があるが、比率の高かったオホーツク海育ちは年々減少傾向にあるようだ。

○オヒョウ漁と冷蔵の始まり
 昔は畳大のものもあったオヒョウは古くは江戸時代からオホーツク海の名産として知られ、松浦武四郎の「蝦夷土産道中寿五六(えぞみやげどうちゅうすごろく)」には紋別のオヒョウとして紹介されている。
 明治25年には土佐の岩田宗晴が網走・斜里地方でオヒョウを大漁し、搾粕にして大儲したと云い、改良川崎船を用いた同年の道庁調査でも好結果を得て、オヒョウ漁が一大ブームとなった。この岩田は後に有力実業者として紋別に居住して道議も務めた。
 そして明治41~45年には沙留の大多喜長蔵が道庁の補助を受けて母船式沖釣船による漁労試験を行い、このときに冷蔵船と冷蔵倉庫による操業も試みられて、動力船の利用も検討された。


第73回もんべつマガレイ(再)

北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

Posted by 釣山 史 at 07:10Comments(0)紋別の歴史

2008年08月06日

カニのお上りさん

もんべつの毛ガニ

今から何十年も昔しに見られた光景に「毛ガニ拾い」がある。
 流氷が去って漁が始まる3月から4月の頃に、「毛ガニ」がうじゃうじゃ砂浜に上がって来て、1斗ガンガンでひとつ2つとたくさん獲れた。
 紋別地方では大正5年から缶詰製造が試みられ、翌年からはカニ缶用に盛んにカニ漁が行われたが、それはもっぱら「タラバガニ」のことで、小型の「毛ガニ」は商品価値に劣った。
 しかし、タラバガニの資源が急激に減少し、たびたび禁漁になると、昭和10年頃からは毛ガニ缶も作られるようになり、「毛がにかご」が開発されて、その後の昭和40年頃からは「煮がに」や「活がに」へと変り、今では高級品となった。紋別では平成18年から水揚げされる毛ガニの大と中に「北海道・オホーツク紋別・JF紋別漁協・毛がに部会」のタグを取り付けて出荷している。

 -毛ガニのゆで方-
 毛ガニのゆで方は、やや濃いめの塩加減で沸騰させた湯の中に甲羅を下に入れて、大は20分位、小が15分位ゆで、甲羅を上にしてザルに上げる。身は甘みもあっておいしいが、、それよりもミソがたいへんに美味。



 二十数年ぶりに浜に上がった毛ガニ/紋別新聞/昭和49年3月






第72回毛ガニ拾い

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Posted by 釣山 史 at 06:31Comments(0)郷土の語り

2008年08月04日

網走黎明期の名望家

~網走管内黎明期の実業・名望家一覧                                                           遠軽町郷土資料館蔵
 さて、今回は網走地方の開発が進み出した明治中期の名望家を掲載した「開拓指鍼北海道通覧/明治26年」と「北海道實業人名録/明治27年」を紋別を中心に紹介する。
 
◆開拓指鍼北海道通覧
 ①町村惣代人
*酒造・笛田茂治は「茂作」の誤りで、笛田とは野上(六号)駅逓の初代取扱人。
*旅人宿・島竹清作に注目。
 ②紳商漁業家農業家
*北見町(現網走市)の岩田宗明は「宗晴」の誤り、のちに斜里で大鮃漁を行って管内同漁の先鞭となり、さらに渚滑へ移って開拓を進めながら製軸所を開設した。北海道議会議員。
*高野番屋、紋別村の高野徳平に注目。
*ナオサ子(ナオザネ)の徳弘正輝に注目。
◆北海道實業人名録
 ①紋別村
*龍田和七は藤野番屋の関係者。
*丸三商店は現在の岩倉商店のはじめ。
*高野番屋の高野支店に注目。
*久保田幸助は藤野番屋の関係者で、これが藤野駅逓のこと。このとき島竹は単なる宿屋であったことが判る。
*内外科醫・古屋憲英に注目。
*第六号、七号、八号の駅逓に注目。第六号駅は笛田から角谷政衛に替っている。
*幌内村・田中支店は後の紋別の田中商店。
 ②網走村
*後に藻別村(現紋別市)にも建設された山田製軸所が見える。
*水産業・森田辰蔵は紋別最初の自由民漁業者。のち藤野番屋・紋別漁場の差配人兼初代紋別戸長となったが、事故あって解任され網走へ移り、当時の開拓使の根室管轄一円で最初に漁業補助を受けて水産業を営み、何かと藤野家と争った。網走町議会議員。









































































































































第71回明治開発の先駆者たち
北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

































  

Posted by 釣山 史 at 22:22Comments(0)オホーツクの歴史