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2017年07月20日

青函連絡船概史


青函連絡船概史 青函の定期航路は、文久元年8月に青森の滝屋が箱館定飛脚問屋の取次を始めたのに始まる。江戸と箱館を結ぶ定飛脚が2と7の日の月6度を往復した。維新後は、旧幕軍の軍艦咸臨丸が、開拓使付属船となって青函航路の輸送に当り、他に幕府から引き継がれた船に薩摩藩から献上された洋式軍艦昌平丸がある。開拓使は、汽船14隻、帆船15隻を保有し、明治6年には、スクーナー型の木造船弘明丸が、函館~青森、函館~大湊の定期航路を始めて、後に森・室蘭へと延長された。ほかの著名船には、玄武丸(黒田丸)や矯龍丸(ケプロン丸)などがある。○青函連絡船の始まり/国鉄による青函連絡船は、明治41年3月7日の比羅夫丸の就航に始まり、日本郵船で7時間はかかったものが4時間台になった。○車両航送が始まる/北海道の開発が進むと青函航路の増強が望まれ、大正3年に艀船「車運丸」による航走が始まって、同14年8月1日から貨車を直積み出来るようになった。○空襲で全滅/昭和20年7月14日に「翔鳳丸」「飛鸞丸」ほかが、翌日にも「第一青函丸」が、8月10日は代替船「亜庭丸」が米軍機に撃沈され、全13隻が炎上または沈没して全滅した。○洞爺丸台風/戦後復興の象徴として“海峡の女王”とも呼ばれ、昭和天皇の御召船にもなった「洞爺丸」であったが、昭和29年9月26日の台風15号で漂流・転覆、国内最大級の海難事故となった。○青函連絡船の終焉/貨物は昭和46年に旅客が同48年をピークに減少し、同63年に青函トンネルが供用を開始すると3月13日の運行を最後に青函連絡船は廃止された。最終便は、函館側が羊蹄丸、青森が八甲田丸だった。 比羅夫丸 田村丸 開航記念絵葉書 この時に工マークが定められた。 稚泊・青函の両航路を走った亜庭丸 転覆した洞爺丸
第415号 青函連絡船の歴史     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

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