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2011年07月30日

稚内の奉安殿

上声問神社の奉安殿 か?
 限界集落であり、周辺に民家もないところでの調査は非常に難しい。
 戦後、GHQによって学校からの撤去が命じられ、また、皇国教育の象徴は、長く教育会でタブーとされたため、小学校や集落の記念誌にも、記録が残っていないことが多い。
 終戦から65年を経て、「奉安殿」という言葉は、既に死語となり、相当の高齢者でなければ、知っていない現状にある。

 上声問神社にある御堂についても、文献等はなく、詳しいこと、ハッキリしたことは分からないが、ただ、『戦後に奉安殿を移設したときに観音さんを入れたと聞いたことがある』との情報もあり、以下の特徴を鑑みて、「奉安殿」であると判断した。

 ご協力を頂いた稚内市立図書館さんに感謝!!



奉安殿の特徴、見分け方 ~疑似、神社・社様式。社のようでそうでない。 屋根~必須、瓦またはトタンであること。 壁材等~多くは石材かコンクリート、あるいはトタン、まれに木製。つまり燃えづらいもの。 扉~観音開き、多くが鉄扉。 施錠~必須、鉄の錠、多くが鉄カンヌキ。 通風孔~必須、2個以上の風通しがあること。 しっかりした土台がない、神社、社様式でない。特に地面に直置きの場合は可能性が高い。移設したと思われる。






























第260回 稚内の奉安殿          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

2011年07月29日

名寄のSL除雪車

 名寄市の北国博物館(名寄公園)には、「準鉄道記念物」であり、全国で唯一残されるSL排雪列車「キマロキ」がある。現在の展示箇所は、旧名寄本線が敷設されていた場所。






























◆キマロキの保存活動
 当時はSLブームもあり、各地で車両が引っ張りだこの中で、粘り強く国鉄と交渉し、名寄市が豪雪地帯の名寄機関区に最もふさわしい蒸気機関車2両を含む7両の無償貸与を受け、さらに完全なものを目ざして釧路にあった車掌車を購入、計8両の「キマロキ」編成の保存が実現した。「キマロキ保存会」は、冬囲いや塗装などの保守、維持管理を目的に昭和51年12月に設立し、会員は国鉄OBなど45名ほど。これほど美しいSLの車両編成は、なかなか見られない。

 ・キ・・・機関車(大正10年製 SL59601号)
 ・マ・・・マックレー車(昭和13年製 キ011号)
 ・ロ・・・ロータリー車(昭和14年製)
 ・キ・・・機関車(大正15年製 SLD51398号)
 ・車掌車(昭和29年製 ヨ4456)

◆鉄道記念物・準鉄道記念物
 「鉄道記念物」とは、鉄道遺産を後世に伝えるために旧国鉄が昭和33年に定めた制度で、北海道では、国鉄民営化の時点で「旧手宮機関庫」ほか計9件があった。
 以後、新規指定や見直しのないまま経過していたが、「北海道鉄道130周年(平成22年)」を機会に、あらためて毎年1回、記念物を選定することにした。ちなみに「鉄道の日」は10月14日である。

○鉄道記念物
 ・鉄道の地上施設その他の建築物、車両、古文書等で、歴史的文化価値の高いもの
 ・鉄道の制服、作業用具、看板その他で、制度の推移を理解するために欠くことのできないもの
 ・諸施設の発祥地点、関係伝承地、鉄道の発達に貢献した故人の墓碑含む遺跡等で歴史的価値あるもの
○準鉄道記念物
 ・鉄道記念物に指定されたものと同種のもの
 ・現在歴史的価値が認められないが、将来その価値が生じ、鉄道記念物に指定するにふさわしいもの
 ・鉄道記念物に指定するに至らないが、歴史的文化価値の高いもの


第259回 美しい名寄のキマロキ          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

Posted by 釣山 史 at 20:06Comments(0)鉄の部屋(軌道・鉄道)

2011年07月27日

紋別、文化のつどい

 紋別市では、夏と冬、年2回の歴史・民族系のシンポジウムが開催されます。

第19回 環オホーツク海 文化のつどい ★主催/北の文化シンポジウム実行委員会 ★共催/紋別市・紋別市教育委員会・紋別市立博物館友の会・紋別市立図書館友の会・流氷倶楽部 日時 平成23年8月27日(土) 13時30分~16時40分 平成23年8月28日(日) 9時30分~11時40分 会場 紋別市文化会館3F特別会議室(北海道紋別市幸町3丁目1-8) 参加費 500円 戦前、オタスの杜のウイルタの揺りかご 日本地理風俗体系/昭和5年 《開催趣旨》 私たちの住んでいる地域は、大陸や列島に囲まれたオホーツク海に面しており、環状に取り巻いている沿岸地域の民族は、冬の流氷など共通の自然環境のもとに、それぞれ北方色豊かな文化を形成している。この北方の諸民族の歴史や文化、自然環境との関わりについての見識を、講演や研究成果の発表をとおして深めることにより、私たちもふくめた北方の文化を多角的にとらえ、新しい地域文化を創出し、文化の向上を図る。 《内  容》 8/27 13:40 ~15:10 講演1『通去の歴史地震・火山災害に学ぷ』 東北歴史博物館 上席主任研究員 柳澤和明氏 8/27 15:20 ~16:00 研究報告1『近世蝦夷地における震災について』 藤女子大学文学部文化総合学科 講師 松本あづさ氏 8/27 16:00 ~16:40 研究報告2『サハリンの先住民族ウイルタの歌謡と言葉遊び』 北海道大学大学院文学研究科 博士課程 山田祥子氏 8/28 9:30~11:00 講演2『環オホーツク海文化をめぐる2万年の環境変勤』 束京大学新領域創成科学研究科 環境学研究系 教授 辻誠一郎氏 8/28 11:00 ~11:30 地元報告・『流氷水族館にかける』 北海道立オホーツク流氷科学センター 技術専門員 山中昭雄氏





































 -号 外-
  

Posted by 釣山 史 at 22:47Comments(0)トピック

2011年07月26日

史跡・大船遺跡

 この7月10日に、当協会は南茅部を訪ねました。
北海道文化財保護協会の巡見2 縄文遺跡の里/函館市南茅部 これはレプリカ 国史跡・大船遺跡と南茅部の遺跡群 墓地の造成に伴う平成8年の発掘調査で保存状態の良い大規模な集落跡が確認されて、「大船遺跡」は全国から注目されることになり、平成13年には国史跡となった。大船遺跡は、縄文中期(約5,500~4,000年前)を中心としたもので、また、近くの著保内野遺跡で発見されて、平成19年に国宝となった中空土偶(茅空・かっくう)は有名である。 大船C遺跡では、縄文時代の農耕を示唆する炭化したヒエやソバ、特殊な技術集団を思わせるアスファルト工房の跡などの発見があり、また、垣の島AとB遺跡においては、極めて資料価値の高い、世界最古の漆塗りの装身具や同じく漆塗りの注口土器、足形付土板なども出土したが、残念なことに、これらは平成14年12月の火災で破損、焼失してしまった。 さて、国宝・中空土偶が出土したのは昭和50年で、地元の小板アエさんがイモ掘りの最中に発見した。その時、不気味に思ったアエさんは、お寺に預けようかとも考えたが、中学生の娘さんが埴輪ではないかと町教委に届出たことで、高額な金額を示して買い求めようとする者、研究者や文化庁のお役人が入れ替わり立ち替わり訪れるなど大きな話題となり、昭和54年には国指定重要文化財となった。 「かっくう」は約3500年前のものと推定され、髪飾りは破損し手両は意図的に破壊され失われているが、高さ43センチ、幅20センチのほぼ全身が出土し、美しい文様がくっきりと刻まれ、漆塗りであった痕跡が見て取れる北の匠、縄文のビーナスである。 平成14年7月に整備途中で罹災前の当地を訪れたことがあるが、今回は、函館市教委さんの御好意で、国宝となった「かっくう」を特別に拝見させて頂いた。感謝♡


























































第258回 道南の縄文遺跡の里          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

Posted by 釣山 史 at 07:55Comments(0)北海道の歴史

2011年07月16日

又十・藤野番屋

◆又十藤野家/(またじゅう)/柏屋/白木屋、(喜兵衛、伊兵衛、本家=四郎兵衛) 近江の4代四郎兵衛の次男・喜兵衛は、天明元年(1781年)に福山(松前)の親族へ奉公にあがり、寛政12年(1800年)に独立して回漕業を興す。屋号を柏屋、家印は又十とした。 はじめて文化3年(1806年)に余市場所を請負い、後に宗谷・斜里、国後、根室、利尻・礼文など、蝦夷地の漁場の大よそ1/4を経営する一大場所請負人となり、藤野漁場は鮭小舌網、鰊角網を開発するなど、漁業上の大変革をもたらした。最初、福山に本店、箱館を支店としたが、後年、箱館を本店とし、蝦夷地の各所に支店や出張所を置き、明治に入ってからは白木屋と称して小間物店を開業、奥地の商店の先駆けとなった。 明治の中期以降、次第にオホーツク沿岸の漁場が不振に陥ると、北洋のカムチャッカへ進出し、道内の各地に牧場を開設するなど事業の多角化を図ったが、家運の回復とはならず、ついに大正5年には全事業を休止するに至り、一部農場の小作経営を残して、本拠の近江へ引き上げてしまった。 分家の藤野辰次郎が開拓使から引き継いだ別海缶詰所(藤野缶罐所)などは有名である。 藤野家紋別番屋跡 旧藤野家網走漁業店 大きく改築されているが、望楼など外観は当時を偲ばせる 斜里駅逓跡 旧藤野家迎賓館 明治28年に建築の建物は、現在は網走神社の社務所 旧藤野社宅 明治41年に函館元町に建築の旧社宅2棟、一角が社用地 旧別海藤野缶詰所と昭和10年頃のホタテ缶詰 外装は新しいが、躯体部分の多くは当時のもの































第257回 北海道随一の藤野漁場          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

Posted by 釣山 史 at 20:23Comments(0)北海道の歴史

2011年07月13日

鷲ノ木遺跡

鷲ノ木環状列石 北海道文化財保護協会の巡見1 高速道路の工事に合わせて平成13年に始まった発掘調査で発見された「鷲ノ木遺跡」は、海岸から約1kmほど内陸に入った桂川河畔の小高い丘に位置し、竪穴土壙墓や竪穴住居が確認され、翌年には、その北側に巨大なストーン・サークル(環状列石)が発見された。 平成18年には国指定史跡となった鷲ノ木遺跡の環状列石は、大よそ4千年前の縄文後期のもので、駒ケ岳の厚い降灰によって耕作もされずに保護され、保存状態は良好である。それは20~60㌢の石が3重のやや楕円形に並べられ、長軸が約37㍍、短軸は約34㍍ある。石の先端は、火山灰に埋まり切らずに顔を出していた。 環状列石の周りに竪穴式住居などはないが、直近に大小10個の土壙墓があることから、葬送や祭祀を行う特別なところだったと推測される。 旧幕府の榎本軍が上陸したことで知られる森町の鷲の木。7月8日に当協会は、この地を訪問しました。森町教委さんの特別の御計らいで、防護シートを一部めくって、見学することが出来ました。感謝!! 遺跡が取り壊される恐れもあったが、道路工事は地下をくぐるものとなった。


























































第256回 森町の古代遺跡          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

Posted by 釣山 史 at 20:27Comments(0)北海道の歴史

2011年07月12日

函館の奉安殿

奉安殿調査は続く…

 函館護国神社(沙羅の月の駐車場のところ)にある奉安殿は後ろ前。石の囲いの出入り側に「奉安殿」とあっても、その裏側に扉の跡がある。
 観音扉があったであろう上部には2つの通風孔があり、奉安殿には必ず通風孔を設けるように義務付けられていたので、これが単なるお社か、奉安殿かの区別の目安のひとつとなる。




















第255回 函館の奉安殿         北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

2011年07月04日

兜沼の旧郵便局

旧兜沼郵便局舎兼住宅

 以前、不覚にもデジカメを忘れてしまい、ようやく再訪問を果たしました。地方にたたずむステキな建築物です。
 昭和9年に建築された兜造りは、当時に流行したモルタル壁飾りで窓や玄関などの建具もオシャレ。現在は豊富町兜沼郷土資料室として利用される。






























第254回 豊富町の素敵な建物         北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

Posted by 釣山 史 at 23:21Comments(0)古民家・古建築