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2017年06月23日

マルキ号パンと海軍飛行場


マルキ号パンと海軍飛行場  我が紋別市には東洋一と云われたものが二つあった。ひとつは、かの住友鴻之舞金山であり、そしてマルキ号パンの農場である。マルキ号パン(水谷パン)は、創業者の香川県人・水谷政次郎が、あのアンパンで有名な木村屋と出会ったことによる。後に日本で初めてイースト菌の製造販売に成功し、大坂を拠点に、これまた日本で初めての本格的なチェーンストアを形成して、東洋のパン王と呼ばれた。大正六年にはドイツ人捕虜二名を借り受けて、製パン技術を伝習したという逸話がある。そして政次郎が目指したのが小麦の自給であり、北海道の各地に○キ水谷農場を開設して機械を使った大規模で近代的な営農を行った。また、海軍に依頼されてセレベス島に農場を開く計画もあった。かっての千歳空港には、○キ水谷農場があったもので、海軍の接収に合い、その移転補償費をもって昭和十六年に紋別町沼の上の民有未墾地二百四十町歩を買い上げて八戸を入れた。しかし、土地が悪く、同十八年には自作農へと開放し、こうして水谷集落の名が残った。さて、戦中の紋別町民が献納した愛国紋別号の写真には水陸飛行場予定地とある。そこは戦後に民政飛行場となり、長くYSが飛んでいた。代替地の水谷集落に隣接し、これら何がしかの関係があったのではないか。また、長女の婿の清重が隣町の湧別屯田の出であり、紋別高等小学校に通ったともいう。マルキ号パンは、丸瀬布や小清水のマチづくりに貢献し、石北線の敷設運動にも大きな力を与えたもので、しかして道内の歴史上で取り上げられることは少なく、いずれの機会に詳しく紹介したい。
第406号  海軍とマルキ号パン      北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/   

Posted by 釣山 史 at 07:07Comments(0)北海道の歴史紋別の歴史