さぽろぐ

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2009年11月30日

樺太オタスの杜(改訂)















































































































































オタスの杜 ジャッカ・ドフニ 敷香教育所 米村喜男衛 D・ゲンダーヌ 幌内川の三角州 ウイルタ人 オロッコ ニヴフ人 ギリヤーク トナカイ王 ヤクート人 アイヌ人 敷香土人教育所 川村秀弥 北川源太郎 ニクブン サンダ キーリン ヤクチ 樺太犬 樺太庁 半澤中商店 オタス半澤写真館 先住民の都・楽園 岡田嘉子・杉本良吉 半澤真吉 オタス丸 網走・大曲 ゴルゴロ 静眠の碑 オタス丸



 ~貴重な『おたす丸』の写真を掲載しました(第166回へ)。 


 第161回 樺太の先住民の戦中、戦後     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

Posted by 釣山 史 at 21:54Comments(0)オホーツクの歴史

2009年11月22日

万次郎の子孫、ここにあり(改訂)


去る平成18年8月24日に「湧別町文化センターさざ波」にて劇団四季ファミリー・ミュージカル『ジョン万次郎の夢』が公演され満員好評の幕であった。あらすじは土佐の漁師万次郎が漂流し助けられた捕鯨船で渡米、そこで西欧の知識を吸収して世界の潮流を知った万次郎は、鎖国日本の開国を誓って帰国、万延元年には遣米使節として勝海舟・福沢諭吉らと供に咸臨丸に乗船して再び太平洋を渡るのであった。ところでこのお話し、その後の北海道の開拓に深く関係していることを知る者は少ない。まずは万次郎について、実は湧別町に隣接する紋別市元紋別には万次郎のお孫さんが入殖し、現在もその一族がおられる。その故人は京大と東大を卒業したインテリで、戦前、戦中の難しい時代に奉安殿建設の寄付を拒否し、軍用機の献納にも反対して、また、赤レンガのサイロにロシア文字と云ういわゆる左寄りで、特高に目を付けられ部落会長を免職されたりもした。近所には海軍中将さんの親族がおり(同じく今も一族がおられる)、勿論、仲が良いはずも無く、相主張譲らず、互いに張り紙をし合ったとかしないとか。しかし、中将さんの親族が反産運動へ繋がる産業組合を結成し、中浜さんも加入して牛を飼ったというから面白い。また、幕末の安政4年には、万次郎自身も北方開発のための捕鯨指導として箱館奉行所に逗留したことがあり、そして函館戦争の将・榎本武揚の英語の教師でもあった。続いて咸臨丸のお話し。函館戦争では旧幕軍の軍船として参戦し、維新後の明治2年には開拓使附属の御用船となって、青森・函館間の初めての定期航路として官公物の輸送に当ったが、同4年9月、入殖を目的とした仙台藩片倉家を乗せて台風のため破砕、木古内町のサラキ岬沖合に沈没したのであった。これらについて上演の前後に多少の紹介でも・・・と期待もしたが、知ってか知らずか、その話は無くチョッと残念、地域の文化情報の発信の大切さを改めて認識したのであった。明治33年にジョン万次郎の長男、医師の中浜東一郎の三男として東京に生まれた中浜明さんは、昭和3年に紋別の山奥にある中藻別へ入植しました。昭和7年には産業組合(農協の前身)が組織されたことから、同9年に川下の元紋別へ再転住し、組合に加入して酪農を始めましたが、当時は生乳ではなく、手回しのセパレータでクリームとして酪連工場へ納品しました。戦前は「奉安殿」の建設に反対し、戦後はGHQの命令による、その取り壊しに異議をとなえて、国歌「君が代」にも反対した中浜さん、万次郎じいさんの教えが『官僚にだけは絶対になるな』だったと云う、反骨のヒトです。



 第160回 万次郎の子孫     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

Posted by 釣山 史 at 00:17Comments(0)紋別の歴史

2009年11月20日

もんべつ海産まつり

オホーツクの味、てんこ盛り
第30回もんべつ海産まつり
2009年 12/5()~6()

~30周年お客さま大感謝祭-お歳暮、お正月用に!!

おいしいホタテ、うまいカニ、サケとイクラとカマボコ、珍味ほか、オホーツクの幸、いろいろ!
…地方発送、受けたまわります!!…



































 第 ー 回 オホーツクの幸、うまいもの、「もんべつ海産まつり」     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

  

Posted by 釣山 史 at 10:05Comments(0)トピック

2009年11月14日

ストーンサークル

シルバーウィークの旅3/5

◆2連のストーンサークル・朱円周堤墓
 ストーンサークルとは、丸く土堤が囲んだもので石が配置されるなど環状土籬とも云われる。
 昭和23~24年にかけて河野広道によって発掘調査が行われた斜里町の「朱円ストーンサークル」は、同32年に北海道指定文化財となった。
 それは直径が28mと32mの2つのサークルからなる約3千年前の縄文遺跡で、中心部には石積みのお墓があり、土器や石器、石棒、飾り玉などが出土し、また、布と思われるものも発見されている。
 近くのオクシベツ川にあったオクシベツ川遺跡ストーンサークルは、現在、斜里町立知床博物館で復元されている。




































第159回 知床のストーンサークル     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

Posted by 釣山 史 at 20:52Comments(0)オホーツクの歴史

2009年11月06日

にわか「鉄」の巻4

最も北海道らしかった旧湧網線

一面の流氷/常呂海岸から能取岬を望む
 名寄本線の中湧別駅から石北本線の網走駅とを結んだ湧網線は、昭和10年に中湧別~計呂地間の中湧別駅側の湧網西線と、同じく網走~卯原内間の網走駅側が湧網東線として開業した。
 戦中は工事の中断を余儀なくされたが、昭和28年には残っていた佐呂間~下佐呂間間の敷設を終えて、湧網線として全通した。路線の営業距離は89.8キロメートル。第2次廃止路線として昭和62年3月20日に営業を終えた。
 オホーツク沿岸のサロマ湖と能取湖に沿って走る車窓からは、早春にはハクチョウが舞い、盛夏は原生花園のごとく、秋にはサンゴ草で真っ赤に染まり、そして厳冬は一面が流氷で覆われる広漠の原風景で知られる最も北海道らしい路線のひとつであった。
 現在、網走市中心街からサロマ湖の栄浦までが、網走常呂自転車道線としてサイクリングロードになっている。


◆旧中湧別駅




























◆旧五鹿山仮乗降場


















◆旧計露地駅





























◆旧卯原内駅











第158回 ハクチョウと流氷が来た駅     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

Posted by 釣山 史 at 20:10Comments(0)鉄の部屋(軌道・鉄道)

2009年11月03日

現存するトーチカ

戦時遺構・網走のトーチカ

 トーチカとは円形や方形ほか、コンクリートなどで建設され、機関砲や大砲を備えて強固に防御された陣地のこと。
 時局の悪化に伴う敵の上陸に備えた防御強化のため、広尾から常呂までの道東の海岸線の48カ所に建設が予定され、主に終戦が間近い昭和19年頃に造営されて、この網走管内でも網走を中心に、今でも各地に点在している。
 網走市内には8カ所が現存するというが、ここではうち2カ所を紹介する。



住民の手により構築されたと云う浜藻琴のトーチカ


















小規模ながらも本格的な藻琴(網走原生牧場) のトーチカ
 
















おまけ:常呂港近くにある防空壕跡?(未確認)













第157回 網走のトーチカ     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/