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2010年12月26日

幕末・維新の函館

 来年、北海道文化財保護協会50周年を迎えます。そして函館への歴旅を企画しています。
 北海道文化財保護協会(Tel&Fax 011-271-4220/Mail Address:bunho@abelia.ocn.ne.jp)へ入ろう!

箱館奉行所が復元!! ~幕末・維新の函館資料あれこれ ◆箱館奉行所 幕末・維新の動乱期に海外へ向けて開かれ、そして戊辰戦争の舞台ともなった函館に、平成22年7月、かっての「箱館奉行所」が復元された。 迫り来る異国に対応し、幕府は蝦夷地を上地して、享和2年(1802)に蝦夷奉行(のち箱館奉行、さらに松前奉行)を設置。翌年には、現在の元町地区に初代の奉行所(御役所)が開設された。 その後、蝦夷地を松前藩へ復領したが、安政元年(1854年)に日米和親条約が締結され、ペリーが箱館に来航、再び、箱館周辺は上地されて箱館奉行を再置し、翌年には箱館が開港した。さらに元治元年(1864)に「亀田御役所土塁(五稜郭)」が完成すると、そこへ奉行所を移転した。 箱館戦争では、その望楼が官軍からの標的とされ、艦砲射撃が直撃、あわてて榎本が取り壊したという逸話が残っており、その後に開拓使が開設されても使用されないまま、明治4年に解体された。◆箱館通宝 箱館開港後の貨幣不足による不便に対応し、今の谷地頭温泉の近くに「銭座」を設けて、蝦夷地のみ通用の鉄銭「箱館通宝」を鋳造した。それは南部の偽金作り職人の手をを借りたもので、粗悪であったことから人気がなく、鋳造は安政5年までに終わり、明治6年には廃貨となった。ほかに「瀬戸座」・「織座」というものもあった。 ◆ブラキストン証券 文久元年(1861)に箱館を訪れて以来、様々な事業を興し、箱館戦争では軍需品を搬送した。明治7年に発行した「ブラキストン証券」は、国際問題となり、翌年には発禁となった。 ◆函館市街図 新旧2枚の絵図で目を引くのは、やはり「御台場」と「御役所」である。 「弁天砲台」は、はじめは松前藩が岬に土塁を築いたもので、のちに幕府は、海を埋め立てて堅牢な砲台場とし、文久3年(1863)に完成した。明治29年には港湾改良が行われて、市街化され、函館ドッグとしても使用された。 つぎに市街を見下ろす「御役所」とは、旧箱館奉行所のことであり、函館戦争の終結後も開拓使出張所や函館支庁・函館県庁として利用された。 最後に上図には、高田屋嘉平が建造した造船場とその隣りにはブラキストンの邸宅が見られる。廻船業の高田屋と貿易商のブラキストンは、ともに造船の重要性を唱え、ブラキストンはスポンサーとなって帆船競争を主催した。 五稜郭へ移転後の箱館奉行所 北海道の文化財/北海道弘報出版社/昭和27年 函館決戰圖~官軍の大野藩士が描いたもの 新撰北海道史概説/北海道庁/昭和12年 箱館湊退船之圖~船主提督ペリとある ヘロリ買物ノ圖 亞墨利加一条寫/函館郷土文化会/昭和28年 新錢鋳立場~跡地はのちに勝田温泉となる 箱館通寶 新撰北海道史第二卷通説一/北海道庁/昭和12年 北海道渡島州函舘港内眺望之圖・明治六年之圖 増訂北海紀行北海誌料/林顕三/明治35年 ブレッキストーン証券~5枚しか現存しないと云う 新撰北海道史第三卷通説二/昭和12年 萬延元年箱館全圖~東北各藩の屋敷が見える 新撰北海道史第二卷通説一/北海道庁/昭和12年 五稜郭 辨天砲臺 北海道史附録地圖/北海道協會支部/大正7年
 第222回 函館の幕末、維新      北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

Posted by 釣山 史 at 13:42Comments(0)北海道の歴史

2010年12月11日

サンゴソウの話し

天然記念物が自然的に消滅した例
 その昔、牡蠣島にあったアッケシソウの群落

もんべつコムケ湖のサンゴソウ

 もんべつでは馴染み深い「サンゴソウ(アッケシソウ)」も、その生息域は限られ、希少種(R)に指定されている。汽水域の低湿地帯という、特殊な条件から、道内では、主にオホーツク海沿岸にある湖沼群(そのほかサロマ湖、能取湖、厚岸湖、春国岱など)に群生する。
 明治24年に宮部金吾博士によって厚岸の牡蠣島で発見されたことから「アッケシソウ」と命名され、大正10年には国指定の天然記念物となったが、その後の十勝沖地震やチリ沖地震の津波などによる地形の変化でほぼ水没して群生が消滅、おしくも平成6年には指定解除となってしまった。
 そのほかに道指定天然記念物として、サロマ湖畔鶴沼のアッケシソウ群落が指定されている。


第221回 文化財としてのサンゴソウ      北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

Posted by 釣山 史 at 18:16Comments(0)郷土の語り

2010年12月09日

丹頂の保護(再)

タンチョウヅルのお話し
天然のタンチョウのつがい ツルがいるから鶴居村 特別天然記念物 ~絶滅危惧種(En)タンチョウの保護活動 まずは「天然記念物」とは…? 記念物とは次の文化財の総称で、①貝塚や古墳、城跡など歴史上、または学術上の価値が高いもの。 ②庭園や峡谷、海、山などの名勝地で、芸術上または鑑賞上の価値が高いもの。 ③動植物と地質鉱物で学術上の価値の高いもの。 このうち天然記念物とは「学術上において貴重な日本の自然を記念する③のこと」を云い、それを有する、その地域を含めたものです。これに指定されると採捕・採取と開発行為が規制されて、その保全と回復の対策がなされるようになります。 古くはアイヌの人々に「サルルンカムイ」と敬われた湿原の神鳥「タンチョウ」は明治25年に保護鳥に指定されましたが、明治末期には開発と乱獲から絶滅したかと思われていました。 大正に入り、地元の猟師がタンチョウを見たとの情報から道庁が調査を行い、大正13年に釧路湿原で約20羽が確認され、昭和10年には「天然記念物」となり、「釧路国丹頂鶴保護会」が結成されて、同27年は「特別天然記念物」に指定されました。 その後の昭和25年に阿寒町の山崎定次郎氏が畑に寄ったタンチョウへの餌付けに成功し、また、鶴居村では同27年の冬に登校途中の幌呂小学校の児童が弱ったタンチョウを発見して新井田準次郎校長と子どもらがそれを保護し、デントコーンを餌付けしました。 同年の大寒波によるタンチョウの餓死では、全国から飼料と義捐金が贈られ、昭和37年からは下雪裡小学校の武藤良治校長が農作物への被害を防ぎながらのタンチョウの保護活動を通じ、教育的な指導を始めたのでした。 こうして、これらをきっかけとした地元住民あげての保護活動によって、最初の昭和27年の一斉調査では、たったの33羽であったものが、現在では1千羽以上が確認されるようになりました。 この「釧路市丹頂鶴自然公園」は、昭和33年に5羽のタンチョウをもって開園し、同45年には「自然ふ化」に、2年後には「人工ふ化」に成功して、以来、増殖に努めて放鳥を続けて来ました。今では、釧路湿原のほかにウトナイ湖や石狩川でも見られるようになり、サロベツや網走でも繁殖が確認されています。道外では、民話「鶴の恩返し」の発祥と云われる山形県や秋田県のほか、最近では宮城県や山口県でも発見されて、話題となりました。 先日の12月5日には、「阿寒国際ツルセンター」において、タンチョへの給餌を始めて60周年を記念し、これまでの保護活動を後世に伝えるために「タンチョウ感謝祭」が開催されました。












































第220回 ツルのお話し      北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

  

Posted by 釣山 史 at 03:23Comments(0)郷土の語り