さぽろぐ

  文化・芸能・学術  |  その他北海道

新規登録ログインヘルプ


2010年04月26日

紋別・市民植樹祭

森から海へ、海から森へ、
育てよう北海道の豊かな森と海

 豊かな森から始まる川の水系では、たくさんのサケなどが遡上して産卵します。遡上して、その役割を終えたサケの死骸は、他の生き物のエサとなり、河畔林の栄養分となります。そして豊かな森林が生んだ落葉が多い河川の河口域では、カレイなどが良く育ちます。
 森に始まる川と海の自然の連鎖は、豊かな漁業資源を生み出すのです。
 1987年に北海道漁協女性部連絡協議会に始まった「おさかな殖やす全道一斉「植樹」活動」は、現在、北海道「食の環境を守る協働の森林づくり促進事業」へと発展して、この紋別市の「オホーツク魚の市民植樹祭」も今年で、第15回となります。
 皆さんもお子さんの出産やご入学、ご結婚の記念に植樹してみませんか?


 ・参加資格    一般の自由参加
 ・と    き    平成22年5月9日(日)10時集合
 ・と こ ろ    大山スキー場ヒュッテ駐車場に集合
 ・植樹会場    大山市民の森(旧水源地の上方)


 ※「カニ汁」や「ホタテ貝焼」が無料!、ハギレ材の配布も 
 ※焼き台(燃料付)を用意していますので、お仲間、ご家族でのバーベキューもOK。!!

 
 -号 外-






  

Posted by 釣山 史 at 10:20Comments(0)トピック

2010年04月25日

消えゆく霧笛

むせぶ夜霧に鳴く霧笛

 第176号へ移転しました。



第174号 全廃された港町の風物詩    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

  

Posted by 釣山 史 at 08:37Comments(0)郷土の語り

2010年04月19日

紋別市内の奉安殿

戦前・戦中の風景/もんべつの奉安殿
  ~紋別に残る4つの御真影奉安殿


 「奉安殿」とは戦前に、「教育に関する勅語(教育勅語)」や天皇・皇后両陛下の「御真影(肖像写真)」などを保管した施設のことで、一般に『御真影奉安殿』とも云われたように、当初は陛下の肖像写真の奉置(保管)を目的としたもので、奉置所、奉安所、奉安庫などとも呼んだ。
 はじめて御真影(天皇としての正式な肖像写真)が撮影されたのは明治5年のことと云い、最初は官公署に下賜配置されたが、明治15年からは東京師範学校ほかの官立(国立)学校へも下賜されるようになる。そして皇民化を強く目指した森有礼が、初代の文部大臣になると、同20年からは、沖縄県尋常師範学校を皮切りに、地方の学校や私学へも下賜され出す。
 そして明治23年に教育勅語が発布され、勅語謄本が御真影とともに広く全国へ下賜されるようになると、北海道では、同年にはじめて御真影が、松前の松城小学校に下賜されて、北海道庁は翌24年に訓令を発令して奉置について規定し、保管の責任者を学校長とした。続いて明治27年には厳粛・厳重に取り扱うよう、あらためて再訓令されたことから、災害などによる破損、滅失を防ぐため、学校敷地内に別棟としての奉安殿が建造されるようになる。
 明治33年には三大節(新年節、紀元節、天長節と後に明治節を加えた四大節)において、学校長が搬出して生徒の御真影への拝礼と教育勅語の奉読が義務付けられ、戦前は天皇の神格化として皇国日本の教育上のシンボルとされたが、こうして御大礼(即位礼)のあった昭和3年以降、特に戦時色が強まる同10年頃から昭和天皇の御真影が田舎の小規模校にも下賜されるようになり、全国で地域の住民の寄付などによって、特に同15年の「皇紀二千六百年」を記念して数多くの奉安殿が建設された。この御真影には、2つのパターンがあったようだ。
 紋別では、明治25年10月に創立の「紋別小学校」が、他地域に比べても早い、同26年7月に教育勅語を奉戴し、翌27年5月には御真影が下賜された。
 敗戦後には、これらの全てが否定されてしまい、昭和20年12月には緊急通知によって、生徒の御真影への拝礼が廃止され、直後の翌21年の元日には『天皇の人間宣言』がなされて、その1月中に御真影の全てが奉還(返納)されてしまい、主を失った奉安殿は、GHQの司令によって、北海道では昭和21年7月23日に学校敷地から撤去するように通達された(取り壊しではなく撤去であった)。そして教育勅語は、衆参議院の議決を経へ昭和23年6月19日に廃止されたが、後処理は不徹底であったのか、北海道内には開拓記念館ほかに数点が現存している。
 さて、平成21年から本格的に探索を開始した現存する「奉安殿」調査であったが、紋別市内に残るは鴻之舞、和訓辺と宇津々の3カ所と思われていたが、

①渚滑市街の雑木林にある住友林業の書庫と聞いていた古い蔵様のものが、あらたに奉安殿であることが確認された。それは水盤や灯篭の跡から戦後はお社として利用され、内部に残されたものからは、やはり書庫としても活用されていたことが分かった。

②同じく旧渚滑村の宇津々集落に残るものは、学校近くの八幡宮の敷地へ移転されて、今もお社として利用されており、保存状況は非常に良い。

③和訓辺では、学校跡の直近に残っているもので、それでも土壇(台)がないので移設されたと考えるが、総トタン張りは珍しく、集落は消滅して管理者がないまま、雑木林に復してしまい、外表面の傷みは著しいが、内部は意外としっかりしている。

④旧鴻之舞の奉安殿は、昭和初期のコンクリート建築を示すモダンなもので、廃鉱から大よそ40年、道路は付け替えられ、雑木林となって、まったく顧みられないまま、もはや崩壊寸前である。さて、戦後、深刻な食糧不足に陥った鴻之舞では、不敬にも、移転後の奉安殿をヤミ米の保管庫として利用したと云い、頑丈なうえ、畏れおおくも畏くも、保管食料に手を掛けた者はいなかったと云う。


第173回 御真影と奉安殿    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

  

2010年04月04日

網走と紋別、ブラキストンの記録

オホーツク地方を探検したブラキストン、
明治初年の記録(Japan In Yezo)~紋別にも来たブラキストン2


市指定天然記念物「ポンモイ柱状節理」
 英国人のブラキストンは、宗谷で難破した英国艦ラトラー号の調査を新政府から依頼され、明治2年に、自己所有船の「あきんど号」で函館を出港、道東の浜中に上陸すると、そこからオホーツクの海岸沿いに北上し、宗谷へ至る。
 網走では、『この辺りの海岸は、実に美しく、岬が北の方へ突き出して、網走沖に小さな小島が見える。網走港に着く手前に、灰色の変わった断崖、柱状節理がある。』と観察している。
 紋別では、この地域の番屋の差配人と船長の話として、『オホーツク沿岸は、冬には沖合い3~4里は凍るけれども、宗谷海峡は、日本海からの暖流による海流の速さと暖かさで凍らず、あの大量の氷は、樺太沿岸で結氷したものが、冬の北風によって流れ来るもの。』と聞き取りしている。


市史跡「紋別場所・又十番屋御用所跡」と流氷来る現在の紋別港


















第172回 ブラキストンのオホーツク探検    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/


  

Posted by 釣山 史 at 08:54Comments(0)オホーツクの歴史

2010年04月01日

氷海の民シンポジウム

紋別では年2回の歴史・民族系シンポが開催される
アイヌ古式舞踊の夕べ

 紋別市は、ガリンコ号やオホーツクタワーでも知られる、自然豊かな水産都市で、 毎年2月に開催される「北方圏国際シンポジウム」は、流氷の南限域という特性を活かした「地球温暖化」などの環境問題や「北方民族の歴史」、「オホーツクの水産」などの専門的な研究発表のほか、一般の方でも気軽に参加できる地域密着型のプログラムである。この2月22日には文化会館において、分科会「第16回氷海の民シンポジウム」が開催された。
 そこでは、北大の増田隆一氏が「DNAからみる古代オホーツク人の系譜」と題し、5世紀から13世紀にかけて北海道に現れて忽然と消えた?「謎のオホーツク人」の系譜を人類学的に分析し、それは現在のアムール地方にあるニブフ、ウリチ、ネギダールの近縁であるとして、また、耳垢遺伝子の分析から北海道の縄文人とオホーツク人の融合からアイヌ人に至ったと解説した。
 つづいて「アイヌ古式舞踊の世界へ」と題したアイヌ民族博物館の北原次郎太氏(現北大准教授)の講演、そしてTeam Nikaopによるアイヌ古式舞踊の実演では、トンコリやムックリの演奏のほか、樺太地方の輪踊り(ヘチリ)やN.G.マンローが記録した網走・春採での刀の踊り(エムエリム)が再現され、また、初日のレセプション(21日)では、参加者がロシアやフィンランド、東南アジア各国の研究者や留学生など、国際色豊かな中で、歌手の加藤登紀子さんと舞踊チーム、関係者らが輪になり、アイヌ民謡を歌い踊って、楽しい宴が催された。



北川さんのコメント
 資料から芸能の復元に挑むTeam Nikaopでは、これまで北海道内の演目を中心に演じてきた。オホーツク沿岸は樺太アイヌが多く移り住んだ地であることから、今回の公演ではヘチリ(輪踊り)など樺太の演目にも挑戦した。


第171回 オホーツク人とアイヌ舞踊    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

Posted by 釣山 史 at 08:02Comments(0)北海道の歴史