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2008年10月30日

歴旅・温泉、釧路湿原編

腰痛、足のシビレに利いた
茅沼温泉・憩いの家かや沼  シラルトロ湖畔にある釧路湿原国立公園にある唯一の天然温泉。
 ~またまた行きたい、オススメの温泉宿

 ナトリウム-塩化物温泉。
 源泉47.2℃のかけ流し、飲用も可。
 温度が4階層の4種の湯船あり。
 45~46℃は超アツアツの「源泉の湯」。
 外 湯 400円
 宿 泊 1泊2食付き6,818円から


 岩風呂                 露天風呂                4種の湯









名物料理
 ・イノシシ鍋
 ・ラムステーキ
 ・ダチョウ料理各種
 ・ワカサギの天ぷら
 ℡(015)748-2121



ツルの来る駅
本当にいた、JR茅沼駅













第93回湿原の湯  北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/   

Posted by 釣山 史 at 22:30Comments(0)旅と温泉

2008年10月25日

歴旅・温泉、遠軽編

田舎温泉旅館の代表・瀬戸瀬

 瀬戸瀬とは、セトセ=セツ・ウシ・イ、鳥の巣が多いところ(諸説あるが)の意で、間宮林蔵の蝦夷図にセトシ川の名が見られる。
 明治43~44年頃に鹿狩りをしていた猟師が流れる泉水を発見したが源泉が見つからず、その後、大正・昭和と幾度か試掘も行われたが成功せずにいた。昭和25年には再び、町議会で温泉開発が審議され、営林署ほか林業関係者の協力もあって、同29年に掘削に成功し、いよいよ同31年に「瀬戸瀬温泉旅館」として開業した。
 途中、火災にあったり、経営難から経営主体が変わるなどの変遷を見ながら、現在も遠紋地方の老舗温泉として親しまれている。
 お肌ツルツル・まったり系のリーズナブルなひなびた温泉で、飲用では「糖尿病や二日酔いに効く」と評判だ。お湯を持ち帰る客も多い。



  ○泉質等~アルカリ性単純温泉/42.8度(源泉かけ流し)
  ○料金等~1泊3,675円(素泊まりのみ)
        ~日帰り入浴=中学生以上500円、小学生200円
         ℡0158-44-2021









 第92回ひなびた温泉の代表格  北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/   

Posted by 釣山 史 at 08:25Comments(0)旅と温泉

2008年10月20日

あやや、アイヌ語地名

塘路湖への旅

 先だって標茶町の塘路湖へ行って来た。第一の目的は数少ない現存する駅逓の確認であり、そしてかねてより一度は訪れてみたかった標茶町郷土館の見学である。この郷土館の建物は明治19年に釧路集治監本館として建てられた洋風建築で、同34年に廃止されるまではアトサヌプリの硫黄の採掘や釧路までの道路の開削など、囚徒を使役した。
 私の目を引いた展示物はアトサヌプリで使用された「ss SHINAGAWA」レンガであり、そして衝撃的だったのは或るアイヌ遺跡である。
 このレンガは現在もある明治8年創業、同36年設立の「品川白煉瓦会社」の製造ではないかと考えるが、この会社は明治20年代には北品川にあったと云う。
 そしてそして一番の収穫は「ウエン・エカシ」と云う遺跡の存在であり、ウエンとはアイヌ語で「悪い」「良くない」を意味し、エカシとは「長老」や「祭司」を指すものであって、このような地名は他に聞いたことがなく、アイヌ民族の方にとっては何て大胆なネーミングだろう。


ウェン・エカシ遺跡/標茶町史より












 塘路駅逓の内部











 第91回とってもレアなアイヌ語地名  北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/   

Posted by 釣山 史 at 21:58Comments(0)トピック

2008年10月15日

最奥の駅逓(第6回)

§上藻別駅逓所と鴻之舞金山のはじまり6~網走地方に見る最奥の駅逓

◆上モベツ駅逓所と鴻之舞金山
ア)上藻別部落の形成
 上藻別原野の測設は明治36年であるが、この時の入殖者はなく、同39年の区画地貸付台帳によると10月31日に橋詰保吉のほか9戸、11月20日には円角信孝、旧法第三条貸付地台帳では10月31日に河合美之助のほか18戸と橋詰保吉外9名の名が見られ(重複有り)、実際にはじめて現地へ入ったのは同40年の山崎梅吉であった。
 続いて明治42年の原野増割では福原浅吉のほか数戸が入殖し、翌年には田中万平らが続き、同44年の山崎長美ほか十数戸の土佐団体が入地して部落が成立して、翌年には住民の手により「上藻別特別教授場」が開設された。初代の部落長は田中万平であり、この部落で一番最初に馬車による運搬を始めたと云う。
 このうち福原は鴻之舞金山発見の端緒となった八十士砂金山での現場監督であり、栄養不足による脚気に対応するために農場を開設したもので、後に一族が手広くハッカを商い、「ハッカ福原」と称されて、部落はハッカ栽培による景気に沸いた。
イ)鴻之舞金山の始まり
 かっては東洋一と云はれた鴻之舞金山(※)は、大正3年に沖野永蔵が上モベツ6線沢で鉱床(のちの三王鉱山)を発見し、翌年には羽柴義鎌と共に元山口之沢で転石を採取したのが始まりで、翌5年に元山大露頭が発見されるに至って、同年、鴻之舞金山は飯田嘉吉を代表とする組合として操業を開始した。
 鴻之舞への入殖は大正5年に大久保馬吉ほか数戸が入地し、翌年には吉田亀吉ら十数戸が入殖、同年に金山が住友へ買山されて本格的に事業が展開されると同7年に製錬所の操業が始まり、同年、上藻別原野道路が開削された。私設による仮教授場の設置は同7年である。
 倶知安内は住友が昭和6年から開発に着手、同じく池澤了は三王鉱山の採鉱を開始したが、同8年には住友へ売山されて社宅数十戸が建設された。
 ※アイヌ語の「ク・オマ・イ=仕掛け弓がある処」の意。将来の発展を祈念して「鳥王・コウノトリが舞うが如し」と当て字した。

大阪毎日新聞/ 昭和5年
 佐渡のかな山は昔のこと、イマ日本第一の金山は大分県の鯛生、第二が鹿児島県の串木野、第三が北海道の鴻之舞-ところがこの第三の鴻之舞の「キン」が品位においては日本第一、しかも今までの学説を覆す併行鉱脈が十七本も本脈を基準に続々と現れ今後それが幾ら出て来るかわからないという景気のいい話、東台湾においても五十億円の金鉱脈があると横堀博士が発表した、五十億!それがホンマならタイしたものだが台湾総督府当局の調べによるとせいぜい五十万円位の見当、それも砂金だから採算にかなうや否やが頗る疑問とされているので当時博士の視察にあたり案内役だった総督府鉱務課の朝日技手は博士の発表に一驚を喫し元鉱務課長の福留喜太郎氏の如きはウフフフフと笑っている、ところが北海道の方は学界の驚異のうちにカネに糸めをつけぬ住友が禁じ得ない黙笑を続けながら小池技師を総指揮官に二百七八十名の益良夫を使役して掛声いさましくイマ現に掘って、掘って、掘りまくっている
 鴻之舞は北海道北見国紋別郡元紋別町から西南六里半、大正初年のころは殆ど人跡を絶った大森林が続く山また山、ある日一人の杣が今元山と呼ばれるあたりの岩角に腰をかけてお弁当の握り飯、フト傍を見ると石コロからピカリ!眼を射たのが一条の光、そもそもこれが鴻之舞金山の発祥である、杣は物知りにその石コロを見せたやま師の飛躍がはじまった、専門家が鑑定すると「金!」
 許可鉱区は至る処試掘されついにカッチリ掘りあてた大金脈の露頭「千万両々々」と呼び声高く伝えられたのを、住友がポンと投げ出した一百万円で値がきまったのが大正六年、それからというもの人と機械に資本が動き、とうとう年産額黄金二百貫-カネに換算して百万両、銀はその四五倍の量を採取するまでに至った 後略  



 
 大正6年の元山鉱/春秋五十年          現在の上藻別6線沢と黄金橋            網走支庁拓殖概観/大正7年



 第90回上モベツ駅逓所、その6  北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

  

Posted by 釣山 史 at 23:01Comments(0)オホーツクの歴史

2008年10月13日

あらためて学芸員力

~とっても悲しい出来事、

 趣味が高じた「博物館に遺跡、史跡」めぐりも、この度の連休で訪問地がさらに増えた。主な目的は登録文化財となった「旧上藻別駅逓所」のための学習にかかる駅逓の再確認であり、遠くは別海・塘路までの現存する駅舎を2カ所(内1カ所は再訪)、有名な駅逓跡が2カ所、近年までその駅舎が現存したところ1カ所、そして鎖塚1カ所を訪問し、そのほか博物館2カ所にアイヌ遺跡1カ所を訪れた。また、天然記念物タンチョウを観察し、阿寒コタンでのアイヌの方との語らいはとっても楽しく、おまけにとってもレアな情報をゲット!(今後の発表に乞う御期待)、まさに文化財三昧の2泊3日であった。
 さて、以前に学芸員についてチョットきつい意見を述べたことがある。資格(認状)があるから「学芸員」なのか、それとも資格(資質と知識)が備わって「学芸員」なのか。今回の旅行でも「お仕事ですか?」と専門員に間違われたりもして、しかし、私はそのような学校に学んでおらず、もっぱら独学であり、この趣味を通じて何か社会貢献をと考えているだけである。
 さてさて、この巡見(?)を終えて帰ってみると、とっても残念なお話しが。私がこのように数年来に渡って実地をめぐり、博物館を訪ね、道立図書館ほか各地の図書館をめぐって、学び、そしゃくしてまとめた「駅逓の解説書(このブログで連載中)」について、地元の博物館長が「そんなのタダの寄せ集め」と言っていたそうな。
 解説書は「網走地方の駅逓」の特徴、あり方をコンセプトに、今までには余り見られない角度からまとめたもので、草稿には江戸期や明治初年の資料なども参考に読んだ書籍は70~80冊以上、これにより地元での新たな発見や余り知られていないことなど、研究と云える側面もないとは云えない。
 それでも、館長にとっては「素人のくだらない文章」に過ぎないらしく、と云うことは今まで「博物館友の会報」ほかに書いてきたこともそう思っているのだろう。当地にはこのようにまとまった駅逓関連書は他になく、仮に評価は低くても(自身は意味があると思っている)、一生懸命学び、文化活動をとする姿を社会教育施設たる博物館が公然と否定する必要はないと考える。結局は「知ったかぶりの素人」程度との認識だったんだなー。今までやってきたことを全否定されて情けなくなった。そんな「博物館友の会」や~めた!! 一応役員でもあり、何かあれば協力してきたつもりであったが、先を行く戦士を後ろから撃つような様に、あらためて地元では活動できないと再認識した非常に残念で悲しい出来事。
 


 北見道路・第一号駅逓跡                        奥行臼駅逓                      旧塘路駅逓                     



 第89回とっても悲しい!  

Posted by 釣山 史 at 23:56Comments(0)持論、討論

2008年10月05日

アイヌの伝統と文化

アイヌの文化を知ろう、学ぼう!!

 この10月3日~4日に紋別市立博物館で、アイヌ文化を知って学んでもらおうと、道ウタリ協会紋別支部(会長 畠山 敏氏)による「アイヌ文化を学ぶつどい」と「アイヌ民族伝統工芸品展」が開催された。
◆「アイヌ文化を学ぶつどい」
 ・白糠ムックリ愛好会シノッチャの会、副会長 時田幸恵氏
 ・釧路アイヌ文化懇話会々長 松本成美氏
 時田氏のムックリの演奏と松本氏による「アイヌ逓送人吉良平治郎」の語り。
 逓送人とは郵便物などを郵便局と郵便局間をつないで搬送するもので(集配人とは違う)、彼は職務を全うするため降雪のなか搬送に向かい、途中、吹雪のなか遭難しながら行嚢(運搬物を入れた袋)を守り切った「責任のヒト」であり、その殉職は全国に感動を呼び、戦前の修身の教科書ともなった。
◆「アイヌ民族伝統工芸品展」(第6回)
 アイヌ語ペンクラブ会長でイヨマンテの会々長の千歳市・野本久栄氏によるムックリの工作体験と、約60点の工芸品を前にアイヌ民族の伝統的な文化を紹介。

 野本久栄氏はこれまで東京や大阪で「カムイノミ」や「イチャルパ」を行っており、当地で毎年(今年で10回)とり行われる同儀式にも祭司として参加、ほかにアシリチェプノミと云うサケを迎える儀式を各地で行い、地元千歳市でも毎年、子どもらと伝統的なサケの漁労とその解体をするチェプコイキを実践している。
 野本氏とお会いするのは4~5回目と思うが、今回ははじめてお仲間に加えていただき、地元アイヌの方々も交え、彼等の伝統的な考え方についてお話しを伺い、そしてそれら文化の伝承と保存について熱く語らった。
















第88回アイヌの伝統文化 北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
~子ども達へ伝えたい「北海道の歴史と文化」
もっと知ろう、残そう郷土の歴史語り
北海道文化財保護協会
(Tel&Fax 011-271-4220/Mail Address:bunho@abelia.ocn.ne.jp)へ入ろう!


  

Posted by 釣山 史 at 07:22Comments(0)トピック

2008年10月03日

最奥の駅逓(第5回)

§上藻別駅逓所と鴻之舞金山のはじまり5~網走地方に見る最奥の駅逓

前回(第84回)につづき~駅逓の配置換え

◆黎明期の駅逓
 オ)駅逓の移転・改称
 殖民・開拓の最前線にあった駅逓は、新たな道路が開削され、さらに奥地への入殖が開始されると、しばしば配置が変更された。紋別では中渚滑駅逓所が渚滑28線から同32線へ移転し、近隣では遠軽の野上駅逓が生田原の安国に移転したほか、澤木駅逓が興部へ、上渚滑駅逓所が滝上に移転して、それに伴い改称された。


  




















第87回上モベツ駅逓所、その5  北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

Posted by 釣山 史 at 07:23Comments(0)オホーツクの歴史