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2017年11月13日

二宮尊徳像と国家主義



あちこちに二宮尊徳像が建てられた理由 昭和10年に中央報徳会、大日本報徳社、全国町村長会、帝国教育会ほかの団体が共同し、全国で『二宮尊徳翁八十年祭』を開催した。ときの内相は、地方官会議において大いに報徳精神を喧伝し、これを契機に各地にたくさんの尊徳像が建立されるようになった。明治41年に『戊申詔書』が渙発され、日露戦争後の個人主義や社会主義の台頭を戒め、勤倹力行して疲弊した地方の再生に当たろうとした。この〝地方改良運動〟を支えたのが「二宮尊徳」の〝報徳仕法〟で、本来は質素倹約、勤勉実直、相互扶助を唱える暮らしを助けるものであったが、この報徳精神を内務行政に取入れたのは、のちに「大日本報徳社」の社長となった〝一木喜徳郎〟が内務次官のときで、こうして国家主義の重要なカテゴリーとなって行った。 昭和12年7月に建立したが、同17年10月に応召され、同18年5月に陶製を再建した。当別町の旧弁華別小学校
第431号 二宮金次郎の像      北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

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