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2008年03月10日

地券は語る

歴史力を磨け!、うんちく王
 
地券は語る ここに一枚の「開拓使地券」がある。ここから参考となる、いろいろなものが読み取れる。
 まずは、この「地券」とは内地では1872年(明治5年)に始まって、道内は遅れて1877年(明治10年)に「北海道地券発行条例」が交付された。「地券」とは明治時代の登記簿謄本と評価額証明書のようなもので、土地の所有権を表わし、ここにもあるように地目、地積、地価を表記して地租の算定の基礎とした。この年の干支が壬申(みずのえさる)であったことから、別名「壬申地券」とも云われる(同年の壬申戸籍は有名)。
 さて、それでは地価・地租についてであるが、ここに地価6円50銭2厘に対して100分の1金6銭5厘地租とあるとおり、この時の税率は1%であった。基準の取り方にもよるが、この頃の米価は約9.3石/円であるから地価は60.5石となり、時代の違いもあり安易な比較ではあるが町奉行所同心30俵2人扶持の約4人分になる。
 続いて所在地の『渡島國津輕郡』について、この郡名は明治2年8月15日に松浦武四郎の提案によって蝦夷地を「北海道十一国八十六郡」とした際に、福山地方(旧城下と知内)が「続日本紀」の『渡島津軽津』に当たるとしたもので、廃藩置県後の一時期には青森県へ統合された経緯もある。1881年(明治14年)には福島郡と合併して松前郡となり、このとき釧路国の網尻郡も北見国網走郡に編入された。ちなみに、この8月15日が「北海道開基の日」とされている(終戦記念日と同じ)。
 最後に持主とされる『金子元十郎』であるが、幕末には道内に数カ統の漁場を有し、福山において大商人として活躍していた「金子元右衛門」を継いだもので、後に初代小樽区長で衆議院議員となり、1891年(明治24年)には中江兆民をして「北門新報」を発刊して「北海道の元老」と称された「金子元三郎」の本家筋で、時代が下って「北海道開発功労賞」、そして書家として初の「文化勲章」を受章した同じく松前出身の『金子鷗亭』も同族である。
 私は松前在住の小学生のときに書道教室に通い、同級生には金子さんと云うかわいい女子がいて、この地券の次の所有者と同じ小松君という元気な男子がいた。
  第32回うんちく王

北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
   

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Posted by 釣山 史 at 23:27│Comments(0)古書籍・古本
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