さぽろぐ

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2008年04月28日

天長節、連休にちなんだお話し

~集え、温故知新!3、老人施設での対話

 私は以前にデイサービスの生活相談員をしていた(いろいろやってるなー)。生活相談員とは社会福祉施設などにおいて家族の方々から、生活上のいろいろなご相談を受けて、より有効な介護支援に努めようとするもので、勿論、お年寄りご本人からのご相談もあれば、介護ばかりではなく趣味や生きがいの創出など、緊急時での付き添いから嫁姑のグチこぼしもあれば、家族関係のあっせん・調整も行う(これはたまらん)、よろず全般、生活のコーディネーターである。
 私の場合、たまたま、歴史・民族史に興味があり、自身、古いお話が大好きであったことから、隠れた才能が一気に開花したわけで、70、80才代の方々との会話に花が咲きで、「生きがい=通所が楽しい」には随分と役に立ったと思う。
 さて、お年寄りは季節々の行事、節季を大切にしているから、また、懐かしさもあって、今の時分に施設で必ず行っていたのが、老化とボケ防止のための発声を兼ねた「天長節」の唱和である。

 ○天長節
  きょうのよき日は おおきみの 生まれたまいし よき日なり
  きょうのよき日は みひかりの さし出たまいし よき日なり
     ひかりあまねき 君が代を いわえ諸びと もろともに
     めぐみあまねき 君が代を いわえ諸びと もろともに 


 「天長節」は古くは唐の玄宗皇帝の誕生日を祝ったのに始まったと云い、日本では光仁天皇の代に天長節の儀がとり行われて、明治に至って元年9月22日が国家の祝日となり、同6年の太陽暦の採用後には、それが11月3日(今の文化の日、戦前は「明治節」と云った)になった。戦前は四方拝(新年)・紀元節・明治節とともに「四大節」のひとつとして、昭和天皇の誕生日の4月29日を盛大に祝わった。
 当然、私しはこの四大節の時々に歌をうたい、御真影を掲げたり、ちなんだお話しをしたり、お年寄りからは校長先生と呼ばれたりもしたが、遠い記憶を呼び起こし、懐かしさにより情緒を刺激して、これは痴ほう症がかなり進んだ方にも非常に有効なアクティビティーである。
 このように昔話は学習としての伝承ばかりでは無く、お年寄りとの対話の素となり、お年寄り自身の「介護と生きがい」に役立つもので、是非とも若い世代に感心をもってもらいたいものである。
 平成元年の祝日法の改正では昭和天皇の誕生日が「みどりの日」となり、平成19年からは「昭和の日」となって、そして今上天皇の誕生日は12月23日である。
 
第48回お年寄りとの対話
 ~伝えよう「北海道の歴史と文化」
 もっと知ろう、残そう郷土の歴史語り

 北海道文化財保護協会 (Tel&Fax 011-271-4220/Mail Address:bunho@abelia.ocn.ne.jp) へ入ろう!

北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

2008年04月23日

公開、爆釣・安価!ポッチョン仕掛け

公開、爆釣・安価!
~「ポッチョン仕掛け」の作り方、釣り方
(関連第49回)

 
 釣りのメッカ紋別で15年間に渡って釣りクラブの幹事を務めた私し釣山がおおよそ10年間の考究によって編み出した「釣り方」も含めた極意を公表、ここではオホーツクでの誰もが気軽に釣行できる港内での釣り方を紹介する。
 さて皆さんは「水深はある方が良い」、「仕掛けは出来るだけ遠くに投げた方が良い」、「港口の水通しを狙え」などとは思っていまいか。
 はてさて、これらはすべて間違いである。あなたは釣り方を知らない!
 ①水深は50㎝もあれば良い。
 ②目の前、というより目下をねらえ。
 ③釣り場はドンずまりが良い。
 ④ヒトがいないところを選べ。・・・である。
 だってサロマ湖などでは実際に水深50㎝程度のところに30㎝クラスのクロガシラや40㎝位のカジカがいたりして、余り知られていないが、クロガシラは川をさかのぼって河岸で釣れたりもするからである。
 つたない絵でたいへん申し訳ないが、ここにある仕掛けと釣り方が会得できれば、あなたもいっぱしの太公望になれる。

‐釣り方‐
 簡単に云うと仕掛けを投げずに岸壁にそって真下に落としてゆっくり30~50㎝、スー・トントンと底をタタキながら上下させるということ(引きずらない)。そして徐々に横に移動すれば、広範囲の漁場を確保したことになる。
 カレイも特にクロガシラは護岸に寄っていることが多く、ゴロタ石にはカジカが潜んでいたりする。ソイは大が底辺に小さいものは中層いる。
 産卵などによる岸寄りはもちろんだが、護岸のすき間(波消しのため櫛歯のようになっていたりする)やゴロタ石には海藻がはえ、エサとなる虫類なども豊富で、隠れどころも多く、つまり、魚にとっては非常に暮らしやすいと云うこと。
 そしてポイントはドンずまり、ゴミや海藻がたくさん浮かんでいるようなところで、それは港内に入って来た魚が静穏なところで一休みするからで、特に荒れた後には、このようなところに集っている。
 最後に、魚は大きなものからエサに食らいつくから、多くのヒトが出入りする釣り場での大物ねらいはむずかしく、当然、もはや釣られてしまっていたりする。
 ちなみに私は165~180㎝(浅いところではもっと短い)の釣り竿で仕掛けはハリが8号、幹糸は1.5号前後、蛍光玉は緑、おもりは蛍光赤で8~10号を使っているが(市販の徳用サビキの加工)、そうは云っても、これで35㎝のカレイや40㎝クラスのカジカを釣りあげるにはかなりのテクニックが必要だろう(3号チカバリで約40センチのアメマスを釣り上げたこともある)。また、実際いるのかどうか、魚の気配をさぐるにも経験がいる。
 さて、何ゆえサビキを利用するのか、それはハリスが短いと細かな当りがとりやすく、しかし魚自身が抵抗を感じやすいからハリとおもりを小さくし、そして光の通る浅いところでも幹糸を目立たなくするためである。
 エサは喰いが悪いときで生イソメ、良いときは塩イソメを使い、しっかり食いつかせるには塩イソメの方がイイ。数より超大物にしぼるときにはホタテのミミも。
 また、この仕掛けは浅いところでのチョイ投げ釣りにも適していて、サロマ湖など汽水域では抜群の性能を発揮する。
 これで、とっても安価で簡単な仕掛け作りほか、私の極意の7割程度を公開したが、あとは皆さん、おのおの努力しガンバッてね!・・・全部は教えな~い。
 サー今年の連休も、某港おか釣りで、35㎝クラスをガンガン爆釣するゾ。

第47回絶対釣れる

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Posted by 釣山 史 at 21:20Comments(0)釣りとお魚

2008年04月22日

予告、爆釣仕掛け、近々公開

爆釣、ポッチョン仕掛け、近々公開!(関連第47回・49回)

 思いのほか早い春の訪れとは、うらはらに、気まぐれ意地悪な流氷もようやく去って、さてオホーツクのフィッシィングシーズンの到来です。太公望もウハウハ、ウキウキ、大型連休も目前に迫る!
 とは云って道東北ではマダマダ早いと思っている釣人へ、そんなことはありません、「あなたは釣り方を知らないのです」。この言葉に悔ししいと思ったら、近々公開の
 「ポッチョン仕掛け」 を御覧なさい。
 これは釣りのメッカ紋別で15年間に渡って釣りクラブの幹事を務めたわたくし釣山がおおよそ10年間の考究によって編み出した「釣り方」も含めた極意の公表です。
 昨年の連休でもオホーツク海の某港おか釣りで、小で30㎝、大は40㎝超のカジカを30尾以上釣りあげました。連休の開始前には掲載するので、楽しみにに待っててネ。

第46回ようやく釣りの話し

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Posted by 釣山 史 at 08:12Comments(0)釣りとお魚

2008年04月19日

谷地頭・勝田温泉にちなんだお話し

~カール・レイモンと晩成社から箱館銭まで

明治元年・箱館眞景
○海外への窓・函館の西洋料理
 函館山のすそ野の市営谷地頭温泉の近くに、かっては勝田温泉と云う明治15年創業の老舗旅館があったが、なつかしい方も多いだろう。そこの娘さんはハム・ソーセージ作りで「胃袋の宣教師」と称されたカール・レイモンの妻である。
 ハムづくりの修行を終えたドイツ出身のレイモンが来日したのは大正8年、偶々、東洋缶詰会社(今のマルちゃん)の重役の知遇を得て、翌年には日魯漁業(現ニチロ)に転じて函館にやってきた。そこで勝田コウと大恋愛の果てにドイツへ駈落ち、大正14年に再来日すると函館駅前でお店を始めた。その頃にはハム・ソーセージへの理解はなく、たいへん苦労したと云う。
 さて、依田勉三の日記の明治27年6月7日に「勝田温泉に入浴して昼食をとった」とある。あまり知られてはいないが、十勝の晩成社が明治26年12月に東浜町の桟橋前に「丸成牛肉店」を開店し、近郊へも牧場と農場を開設した。しかし、その営業はかんばしくなく、わずか5年後の同31年には閉店してしまった。
 この時のユニホームの半纏には右胸「丸成」、左に「十勝牛」、背中に「牛肉」と記されていたと云い、「丸成」とは晩成社の屋号であり、今は六花亭のバターサンドのパッケージに使用されている。
裏面は安政の「安」・箱館通寶
○箱館通宝と古武井熔鉱炉
 幕末には、その勝田温泉のところに銭座があり、蝦夷地のみ通用の鉄銭「箱館通宝」が鋳造されていた。それは箱館開港後の貨幣不足により、物資の流通から日常の生活に不便が生じたためで、安政3年、ときの箱館奉行が幕府に願い出て翌年には鋳造が開始され、この新銭の両替・流通を御用達の伊達林右衛門、栖原六右衛門らに命じた。銭座敷地内では当時から温泉が湧いていたと云う。
 この新銭の鋳造には近隣で産出される砂鉄を用いる予定で、蘭学者武田斐三郎が古武井に築造する反射炉を当て込んだものであったが、安政3年の建造の開始直後に中止となり、溶鉱炉へと計画が変更されて安政4年末には完成したが火入れに失敗。この間、並行した小規模の熔鉱炉も3年ほど製鉄を行ったがおもわしくなく休止となった。それ以前の古武井では安政元年頃に、すでに松右衛門によるタタラ製鉄が行われていた。
 その後の文久元年に熔鉱炉は再開されたが一時的なもので、文久3年の暴風雨で大破するとそのまま放棄されてしまった。
 この様なことから、当初予定していた近隣からの鉄の供給は難しくなり、また、鋳銭も粗悪であったことから人気がなく、「箱館通宝」の鋳造は安政5年までに終わり、また、明治6年には廃貨となって短命に終わった。

第45回函館のお話し

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Posted by 釣山 史 at 10:28Comments(0)北海道の歴史

2008年04月13日

古代人の里にクジラ寄る

~海洋民族・オホーツク人の里にクジラ寄る
(寄りクジラ伝説)


 平成20年4月12日早朝、紋別市渚滑町川向の海岸に体長約8メートルのミンククジラの死骸が打ち上げられているのが発見された。
 メス、年齢は不明だが十分な大きさの成獣で、頭部には擦れた跡があり、後尾付近には切り傷と何かに打たれた跡(スクリューの羽形様)もあって、船と衝突して死んだと考えられる。
 ここはオムサロ海岸と云い、近くは通称・流氷岬とも云って、オホーツク文化・擦文時代を代表する遺跡があり、古代の里に思わぬ寄り鯨となった。


◆謎のオホーツク人は遠くサハリンからやって来たのか
 おおよそ6世紀~12世紀に大きな竪穴式住居に住んでアザラシやトドを狩り、捕鯨を行い、そして魚網を用いた漁労も行った「海の狩人」。
 陸上ではヒグマやシカ猟を行い、豚と犬を飼育し、特有の土器や骨角器、骨や牙を用いた芸術性の高い彫刻を作製して、また、鉄製品を使用し、その加工も行った。
 その生活址は南樺太から利尻・礼文などの一部の日本海、オホーツク海沿岸の稚内から根室・北方領土にかけてにあり、流氷が接岸する地帯とほぼ一致することから「流氷の民」とも呼ばれる。
 こうしてオホーツク人は、特有の文化形態を擁して道東北を中心に繁栄したが、彼らはいったい誰であったのか、「ある時、忽然と消え去った謎の民族」とセンセーショナル的に語られるが、宗教儀礼など後のアイヌ人と共通するものも多く、次第に地元人と同化して行ったのであろう。

◆北海道指定史跡/オムサロ遺跡公園(住居址と遺跡から流氷の名残りを望む)
 オホーツク海に面した国道沿いの小高い段丘にあり、縄文早期から続縄文時代、オホーツク文化から擦文、アイヌ時代までの1万年に渡る200個を越える住居址があって、また、擦文時代の復元住居やアイヌ人が食べたオオウバユリ、エゾエンゴサクなどが見られる。

◆伝説・知床ウトロのオロッコとアイヌの戦い(寄りクジラ伝説)
 この岩島のうえにはオロッコ人(ウィルタ)が住んでいて、その下をアイヌ人が通りかかると、島の上から石や木を投げつけて悪さをするので、アイヌの人たちはホトホト困り果て、何度も追い払おうとしたがなかなかなりません。

 そこでアイヌ方では一計を案じた。
 
 こっそり夜中に海草を集めてクジラの形を作り、そこに魚を置いたところ、朝になると鳥たちが群がって大騒ぎ。
 それを見たオロッコ人たちは岸にクジラが寄ったと勘違いして島から下り、喜び勇んで駆けて来たところを待ち伏せしていたアイヌ人が攻めて、オロッコ人は全滅してしまった。
(道東北に同様の挿話が散見される)

◆明治のアイヌ居住地(給与地)との関係
第44回くじら寄る(関連/第37回)

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Posted by 釣山 史 at 10:43Comments(0)トピック

2008年04月06日

絵本の選び方

~絵本を購入する前に読む本!選書リスト









































(赤ちゃん絵本、子どもの読書第39回、38回参照)
第43回絵本の本

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Posted by 釣山 史 at 16:44Comments(0)子育て・子どもの学習

2008年04月03日

めいどいん・ムショ

~お気に入りの民具
古物屋で購入した左/小樽、右/北見
  「歴旅・温泉、そしてチョッと釣り」と云うくらいで(未だ温泉と釣りのお話しがありません、温かくなったら秘伝の釣り仕掛けを公開します)、この様な趣味を持っているとあちこちと旅をしながら、その土地々の郷土本や民具を買って、そして、これがお気に入りのアイヌ人形と絵皿である。
 どちらも古物屋で購入したものだが、このアイヌ人形はなかなか見つからず、あっても展示品だったりして入手するのに数年かかった。
左/昨年の矯正展にて、右/元警官から貰ったニポポ
 続いての4点のうち、1点は知人から頂いた「ニポポ」と網走で購入した二種類の「セワ」、そして「アイヌの土人形」であり、「ニポポ」とは樺太アイヌ人の神様で「小さな木の人形」とか「木の小さな子」という意味で、「セワ」も同じく樺太のウイルタ人が「幸せをもたらす偶像」として信仰したものである。
 この「ニポポ」は戦後に樺太から引き揚げた常呂の藤山ハルさんが家の守り神としていたものを当時の網走市立郷土博物館長・米村喜男衛さん(現館長のおじいさん)が見留め、それを網走刑務所と製品化に取り組んで代表的な土産品にしたもので、昭和31年に販売が開始された時には大で60円だったそうな(今は一番小さいもので700円する)。また、この土人形も最近、新たに同刑務所で開発されて受刑者が作成したもの。
 同じく、この「セワ」も終戦後に樺太から引き上げて来たウイルタの人たちが土産品としたもので、今は網走駅近くの民芸店で作成され販売されて、「オロチョンの火祭り」では会場に出店して販売しているので、ご存じな方も多いだろう。
同店で買ったセワ2種類
 


第42回旅と土産

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Posted by 釣山 史 at 23:26Comments(0)古もの、骨董、民具ほか