さぽろぐ

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2010年06月30日

お船の骸骨

厚岸の造船所
 この5月の連休に厚岸へカキを食べに行きました。
 さて、その途中、厚岸大橋のたもとに今は珍しくなったの木造の未成船がありました。


 ㈲坂井造船所にある船の骸骨


































第189回 木造船の骸骨    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

Posted by 釣山 史 at 07:46Comments(0)トピック

2010年06月27日

上富良野と鹿追の奉安殿

続くつづく現認調査
 東中と北鹿追の奉安殿

◆東中小学校/上富良野町
 総オンコ造りの純和風、道内で唯一、文化財に指定される東中神社の奉安殿は、東中小学校の焼失による2代目の奉安殿であり、後に石造りの堅固なものが建造され、熊野権現を祭る社に転用されて残ったものである。大正4年の建造、昭和48年に町指定文化財となる。
◆北鹿追小学校/鹿追町
 とにかく分かりづらい。総トタン張りの小さなもので、現在は観音堂として利用されており、数をこなしていないと一見では、分からない。
 集落を訪ね歩いたが知る者はなく、とにかく回りまわって発見した。周辺が整備されていることから管理はされていても奉安殿であったということが忘れ去られてしまっているのだ。鹿追4号線沿い、7条川橋が目じるし。













(東中小奉安殿)
















(北鹿追小奉安殿)
 















第188回 文化財となった奉安殿    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

2010年06月18日

竜馬一族の墓

北海道を開拓し、その土となった坂本竜馬の一族

 あの坂本龍馬も蝦夷地開拓を計画していたと云い、幕末・明治の混とん期に土佐の人たちは、蝦夷地の視察を繰り返していた。
 明治30年にキリスト教団である北光社を率いて北見へ入った甥の直寛は、その前年の視察途中、同じく土佐人でキリスト教徒の武市安哉らが入殖した浦臼に立ち寄った。このとき経営に行き詰っていた聖園第三農場を安哉の後継・土居勝郎から譲り受けて、明治31年には、北見から妻子を伴い浦臼へ再転住した。
































 ◆龍馬の一族
 ・坂本直
 龍馬の姉の子、のち龍馬の養嗣子となる。
 ・坂本直寛
 坂本直の弟で北光社の創立メンバー。
 ・坂本直衛
 坂本直の子。
 ・坂本直行(1906-1982)
 坂本直寛の孫で、十勝の画家として著名。


第187回 龍馬一族の墓    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

Posted by 釣山 史 at 08:45Comments(0)北海道の歴史

2010年06月15日

音江ストーンサークル

音江環状列石
 平成22年度北海道文化財保護協会の総会からの帰り道、15年ぶりに行って、あんなに登りがキツかったなんて!! いやー、あらためてオジサン化を認識する。
 さて、音江環状列石は縄文時代後期の墓地で、深川市音江の標高115メートル、小高い稲見山の山頂にあるストーンサークル。昭和27~31年にかけて東京大学が発掘調査を行い、昭和31年12月28日に国指定史跡となる。
 径2メートルから5メートルの比較的に小型の円、楕円、そして囲み大よそ40ヶが散在し、中に小石を敷き詰めたり、中央に石を立てたりしていて、黒耀石の石鏃、土器片やヒスイの飾玉、朱漆塗りの弓などが出土している。

























 












第186号 ストーンサークルがいっぱい    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  






  

Posted by 釣山 史 at 07:50Comments(0)北海道の歴史

2010年06月12日

浜のまち・紋別

ホタテとカニのまち
概略 紋別の水産界






浜のまち、もんべつ ◆紋別市の概要 我が紋別市は、流氷砕氷船ガリンコ号や氷海展望塔オホーツクタワーで知られる、遠くアムールから流氷がやって来るマチ。冷涼で低湿な北海道内では比較的に穏やかな気候に恵まれ、道内でも早くから漁場として開け、その豊かな漁場に支えられた漁業を中心に、大自然を活かした『農林漁業のまち』として発展して来た。漁業はタダ獲るだけの漁業から育てる漁業へと転換し、共業化も進んでホタテやサケ・マスを主に漁業生産の安定化が図られ、農業では、道東でもいち早くに製酪が行われた地域であり、今は大規模な製乳工場がある一大酪農地帯として、林業は、開拓時代の黎明期には幾つものマッチ軸工場があった林産工業の先進地で、現在は、当市が中心となって日本一の森林認証エリアを形成する、森から海へと連携した『海と大地の恵み』からなる1次産業を基盤とした食料供給基地である。また、かっては東洋一の金山と呼ばれた住友鴻之舞金山があり、世界を席巻した北見ハッカの濫觴の地でもある。そしてオホーツク海のほぼ中央に位置する紋別港は、『重要港湾』に指定され、移出入のみならず水産物を中心とした海外との重要な貿易港でもあり、水産加工場などへの海外からの研修生も多く、国際的な経済交流と流通の拠点であり、また、流氷が到来する南限の地域として、これらを活用した観光開発や氷海研究、環境問題にも力を注いでいる。◆漁業のまち 紋別市は、以前は定置網や沖合底曳、北洋漁業など、大きな資本を要する大型漁業が盛んであって、それに伴い早くから先進的な加工・流通がなされて来た。反面、沿岸漁業は零細な者が多く、仕込みによる商業資本に支配されながら、ホタテやカニなど、繰り返す好不漁に悩まされていた。 昭和初期に他を先駆けて「漁業者=漁業に従事する者」との漁民運動が起こり、組合員の整理を断行、このことは現在でも「兼業は禁止」として受け継がれている。戦前戦後の紋別水産界においては、有力代議士であった松田鉄蔵と最新の加工技術に熟練し、元水産庁の役人でもあった松崎隆一の両人が、当地に与えた影響は非常に大きく、また、後のニチロや大洋漁業となる大手資本が早くから進出したことが、今の紋別産業界の基礎を築いたと云え、戦後間もなく、全国初の水産モデル地区に指定され、地元水産3組合が合併して組織の強化が図られ、また、重点的に国からの資金と援助を受けると、次々に最新の施設を整備して、昭和30年代前半までには、全国でも稀に見る近代的な水産都市が形成された。その後の200海里規制以降の漁業規制の強化は、遠洋・沖合の大型漁業の衰退をもたらし、資源の急激な減少もあって、かっては凡そ40隻はあった大型船が、今ではたった4隻にまで減少、主に加工とされる「スケソウ」などの多獲魚の水揚げが激減し、それは加工業の業態の変化ともなり、今はロシア産の輸入ガニに頼る加工が盛んとなった(4年連続、カニ輸入日本一)。不安定であった沿岸漁業は、その後、「ホタテ、さけ・ます」を中心とした増養殖へと転換し、この増養殖が全水揚げの6割強を示すようになって、また、ホタテ漁やさけ定置網の共業化・共同化もあり、漁業経営は次第に安定して来た。そして流通・加工においても消費者が強く望む「食の安心・安全」に応えた衛生と鮮度が高度に管理される「HACCP」への対応により、競争力のアップを図っているところである。◆紋別ゆかりの人物・・・・・・●水産関係者 ☆歴史上の人物 ●藤野四郎兵衛~漁場主(又十番屋)  ●宮崎簡亮~開拓使官吏(開進社・社長)  ●木村嘉長~仁木竹吉の補佐役(仁木町を建設)  ●岡村文四郎~開拓者、参議院議員  ●松田鉄蔵~企業家、代議士  ●松崎隆一~企業家(カニ工船のモデル)  ●中浜 明~入植者(万次郎の孫)  ●草鹿犀之助~産業組合の設立者(ミッドウエイ開戦参謀の一族)  ●D・ゲンダーヌ~サハリン先住民族文化の伝承者 ☆文化芸能、スポーツ 半澤 中~写真家(オタス写真館主)  ●本庄陸男~プロレタリア作家  ●香川軍男~いも版画家  ●手島圭三郎~絵本作家  ●堀川 真~絵本作家  ●あべさゆり~漫画家 ●モンキーパンチ~漫画家 ●長谷川初範~俳優 ●勝浦 修~プロ棋士 ●宮川 泰~作曲家 ●田中利明~卓球世界チャンプ ☆その他 ●堀 達也~元北海道知事  ●佐野法充~現民主党北海道連・幹事長
◆昭和35年ころ                           ◆昭和40年ころ














第185号 紋別の水産・概史    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
 

   

Posted by 釣山 史 at 01:13Comments(0)紋別の歴史

2010年06月09日

札幌周辺の奉安殿

続くつづく、現認調査!!

 最近は高速交通網の発達から便利に成りすぎ、チョッと寄り道や、のんびり車窓からの眺めを楽しむなどは少なくなりました。今回、札幌への長旅も高速道路を下りての道のり、新たな発見がありました。
 平成18年に設立したばかりの「北海道八十八ヶ所霊場」のひとつの第十一番札所・金剛寺の境内に見とめた御堂が、あの独特の色づかいに形は、もしやと思い訊ねたところ鶴沼小学校の奉安殿であったことを確認しました。それにしても直近に神社があるのにお寺へ移設とは・・・。


 (左)こちらは良く知られている琴似神社の奉安殿。義務付けられていた通風孔が小窓になっているめづらしい例。

 (下)石狩市の了恵寺にある南線小学校の奉安殿は、まったく飾り気のない木造で、私が現認したものでは一番小さい。
 
 第184号  札幌近くの奉安殿    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/









  

2010年06月05日

網走地方の歴史遺産

~子ども達へ伝えたい「北海道の歴史と文化」
 もっと知ろう、残そう郷土の歴史語り
 北海道文化財保護協会
 (Tel&Fax 011-271-4220/Mail Address:bunho@abelia.ocn.ne.jp)へ入ろう


 2泊3日/道内文化財散歩
 《上ノ国、江差》の歴史・文化財めぐり
 日程 平成22年7月16(金)~18(日)


~情報交換会(6月5日総会)資料2/2~魅力いっぱい、オホーツク
 第183号  網走、北見、紋別地方の歴史遺産    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
魅力いっぱい、オホーツク余話・・・わたしの興味、調査研究 網走には「刑務所」と「モヨロ貝塚」、北見には「ハッカ記念館」があり、屯田兵や北光社による開拓や白滝の黒曜石などが良く知られる。それでも道南、道中に比べて歴史的な遺産は少ないというのが、この地方のイメージである。しかし、当地にも魅力的なものはたくさんある!!  戦前・戦中の遺物 戦中に網走は空襲を受け、戦後、紋別もGHQの進駐があったが、各地に築かれたトーチカは、網走だけで8カ所が現存し、旧海軍航空隊司令部が今でも美幌駐屯地の庁舎として使用されて、女満別空港には、幾つもの防空壕が残っている。また、管内では、紋別や遠軽ほかに7棟の奉安殿が確認されている。湧別では、戦時に2個の機雷を民間人に引き回させた挙句に暴発、死者106人、負傷者130人という大惨事となり、このときの破片と慰霊碑が残されている。 浜藻琴のトーチカ 渚滑の奉安殿 アイヌ民族の活動 管内には網走、紋別、美幌にアイヌ協会支部があり、網走や紋別では、イチャルパやカムイチップノミが継続して行われていて、毎年、5月第4日曜日の「美幌峠まつり」では、阿寒の人たちによるアイヌ古式舞踊が披露される。そして平成19年には網走に本格的なチセが復元されて、チセノミが執り行われた。 駅逓終焉の地旧幕時代からこの地あった駅逓は漁場による典型的なもので、明治には中央道路が開削されて12カ所の駅逓を開設したが、これらの経営は、この地方特有のものであった。そして網走管内には、駅逓制度が廃止されたときの最後の7駅のうち、2駅があった駅逓終焉の地でもあり、今でも駅舎3棟と施設1カ所が残っている。 全く知られていない西興部の上藻興部駅逓所 留辺蘂の無華駅逓 紋別地方で活躍したユニークな人物たち ・宮崎簡亮~北海道最初の開拓会社・開進社の中心人物。のち湧別・常呂・佐呂間・渚滑へ入殖した土佐団体を指揮し、その後は実業に転じて湧別村長も務めた。・木村嘉長~渚滑村開祖の人。有名な仁木竹吉を補佐して仁木村をつくりあげが、その頃すでに旧開地と呼ばれていた余市・岩内からの網走管内への再転住は多く、有力な者が多い。・松崎隆一~最新の加工技術に精通していた松崎は、紋別地方で最初の冷蔵庫を設計・建設した。彼は、船内でのカニ缶製造のラインを完成させ、以後の同業の勃興を生んだ立役者であり、自らが着業した蟹工船事業では、「博愛丸事件」を引き起こして「小説・蟹工船」のモデルとなった。・中浜 明~昭和初頭に紋別の山中へ入植して、その時代に奉安殿や軍用機の寄付に反対し、赤レンガのサイロにロシア文字を標した中浜さん。万次郎じいさんの教えが『官僚にだけは絶対になるな』だったと云う、反骨のヒト。 遠軽家庭学校の大正8年建設の礼拝堂、初代校長の息子は終戦直後の北海道庁長官。 秘所中の秘所、網走刑務所の敷地内にある大曲洞窟遺跡。 大正に三馬ゴムを使い人気があった大矢ボッコ、置戸町郷土資料館。 明治2年に、ブラキストンがここを訪れ、記録に残した網走ポンモイの柱状節理。  

Posted by 釣山 史 at 08:00Comments(0)オホーツクの歴史

2010年06月01日

カニの日・紋別

6月22日は『カニの日』 オホーツク三大ガニのまち・紋別 6月22日は「カニ座の初日」で、五十音順ではカは6番目、ニが22番目だからだそうです。さて、紋別では流氷が去り、毛ガニとタラバガニ漁が始ると春の訪れです。そして当地は、ズワイガニを中心としたカニの輸入が、4年連続の日本一でもある『カニのまち』です。
紋別漁協は、毛ガニに『北海道・オホーツク紋別』のタグを取り付けて品質を保障し、洞爺湖サミットではディナーにも使用されて話題になりました。

号外 オホーツク三大ガニのまち・紋別  

Posted by 釣山 史 at 10:03Comments(0)トピック