さぽろぐ

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2009年10月28日

にわか「鉄」の巻3

旧名寄線の遺物
 ~附:未成・興浜線遺構



◆旧名寄本線
 名寄本線は宗谷本線から名寄駅で分岐し、天北峠を経て紋別市を通過、遠軽駅で石北本線に接続する本線と旧上湧別町中湧別駅で分岐し(下)湧別町の湧別駅に至る支線からなっていた。全国の廃止された路線では唯一の本線である。本線の名寄 ~上湧別~ 遠軽間が138.1km、支線は中湧別 ~湧別 間の4.9km。
 大正8年に名寄~下川 間が名寄線として開業し、翌年には上興部まで延長された。大正10年には中湧別~興部間が名寄東線として開通し、名寄~上興部間は名寄西線となる。そして同年、ようやく遠軽~名寄間が全通して名寄線となり、同12年に名寄本線と改称された。 
 待望されたオホーツク海と内陸を結ぶ名寄本線も、早くも昭和7には石北線が開通して従属的なものとなってしまった。
 平成元年4月30日で全線廃止となった同線の札幌~遠軽間の急行「紋別」、網走~興部~名寄間の急行「天都」、石北線回りの旭川~遠軽~興部~名寄間の急行「オホーツク」のちの急行「大雪」が懐かしい。


天北峠下の「一ノ橋駅」     鉄道資料館「旧上興部駅」



























旧中興部駅                                                              興部町ルロチの鉄橋跡













旧渚滑駅にあるSL9600型













旧小向駅                   旧沼の上駅                湧別町川西の鉄橋跡
















◆旧南北興浜線
 名寄本線の興部駅からオホーツク海を縦貫して、天北線の浜頓別駅とを結ぶ計画であった興浜線。昭和10年に興部~雄武間が興浜南線として、翌11年には枝幸~浜頓別間が興浜北線として一部の開通を見たが、結局、工事途中で全通することなく、同60年で南北両線は廃止された。
 ここでは雄武と枝幸間に残る、敷設工事の痕跡と思われる遺構をあげる。


雄武町と枝幸町の間にある橋梁と路盤跡

 



第156回 オホーツク廃線の遺構     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

Posted by 釣山 史 at 19:58Comments(0)鉄の部屋(軌道・鉄道)