さぽろぐ

文化・芸能・学術  |札幌市手稲区

ログインヘルプ


2009年06月14日

戦後の北方領土開発計画2

~元開発局長の北方領土開発計画
 (抜粋2)歯舞諸島の開発計画(第78回のつづき)



 西武札幌店が9月で閉店!
 百貨店として、北海道で一番古い歴史を持つ「旧五番舘・西武札幌店」がなくなる。
左/明治34年の広告 右/大正14年の広告
戦後の北方領土開発計画2戦後の北方領土開発計画2 「小川二郎」は札幌農学校を卒業した翌年の明治27年に、今の南2条通りへ主に種苗・農機具を扱う「東京興農園札幌支店」を開業した。同32年に現在地へ移転して輸入雑貨も販売する百貨店となり、翌年には独立、レンガ造りのモダンな百貨店として明治39年には「五番舘・札幌興農園」と改称する。
 その息、小川譲二は戦前の北海道庁を経て、戦後は北海道開発局の初代の建設部長となり、のち二代目の局長に就任、その在任中に私案したのが、この「色丹島並に歯舞諸島の概況と開発計画」である。



戦後の北方領土開発計画2



































戦後の北方領土開発計画2

































第129回 北海道開発局の北方領土開発計画    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

あなたにおススメの記事


同じカテゴリー(樺太・千島の歴史)の記事画像
あれから樺太70年
おたす丸の写真
戦後の北方領土開発計画
道東のハリスト教会
樺太・オタス写真館の新発見
同じカテゴリー(樺太・千島の歴史)の記事
 あれから樺太70年 (2015-08-20 18:09)
 おたす丸の写真 (2010-01-11 07:21)
 戦後の北方領土開発計画 (2008-09-06 08:20)
 道東のハリスト教会 (2008-06-18 21:21)
 樺太・オタス写真館の新発見 (2008-02-20 07:54)
 樺太、オタスの杜 (2008-02-09 12:16)
Posted by 釣山 史 at 13:03│Comments(0)樺太・千島の歴史
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
削除
戦後の北方領土開発計画2
    コメント(0)