2015年07月21日
木造の弁華別小学校
我が一族ゆかりの弁華別小学校 我が一族は、当別村の茂平沢に入いって弁華別を築いた大庄屋で、土巧組合を設立し、弁華別神社を建設して部落長ほか公職は多数、当別村を代表する有力者であったが、第一次大戦後の不況と農民解放運動の盛り上がりに小作たちが結託して仕込料や小作料を支払わず、先に親(庄屋)が差し押さえを喰らって破産してしまった。大正から戦後にかけ、身内の者が教員をしていた昭和12年建築の現弁華別小学校舎は、道内を代表する大規模木造建築で美しく、このままいつまでも残っていて欲しい。校庭の二宮尊徳像は、戦時供出後に陶製となって再建されたものだと云う。
第379号 当別町の木造校舎 北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
Posted by 釣山 史 at 05:34│Comments(0)
│古民家・古建築
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