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2008年04月13日

古代人の里にクジラ寄る

~海洋民族・オホーツク人の里にクジラ寄る
(寄りクジラ伝説)


 平成20年4月12日早朝、紋別市渚滑町川向の海岸に体長約8メートルのミンククジラの死骸が打ち上げられているのが発見された。
 メス、年齢は不明だが十分な大きさの成獣で、頭部には擦れた跡があり、後尾付近には切り傷と何かに打たれた跡(スクリューの羽形様)もあって、船と衝突して死んだと考えられる。
 ここはオムサロ海岸と云い、近くは通称・流氷岬とも云って、オホーツク文化・擦文時代を代表する遺跡があり、古代の里に思わぬ寄り鯨となった。


◆謎のオホーツク人は遠くサハリンからやって来たのか
 おおよそ6世紀~12世紀に大きな竪穴式住居に住んでアザラシやトドを狩り、捕鯨を行い、そして魚網を用いた漁労も行った「海の狩人」。
 陸上ではヒグマやシカ猟を行い、豚と犬を飼育し、特有の土器や骨角器、骨や牙を用いた芸術性の高い彫刻を作製して、また、鉄製品を使用し、その加工も行った。
 その生活址は南樺太から利尻・礼文などの一部の日本海、オホーツク海沿岸の稚内から根室・北方領土にかけてにあり、流氷が接岸する地帯とほぼ一致することから「流氷の民」とも呼ばれる。
 こうしてオホーツク人は、特有の文化形態を擁して道東北を中心に繁栄したが、彼らはいったい誰であったのか、「ある時、忽然と消え去った謎の民族」とセンセーショナル的に語られるが、宗教儀礼など後のアイヌ人と共通するものも多く、次第に地元人と同化して行ったのであろう。

◆北海道指定史跡/オムサロ遺跡公園(住居址と遺跡から流氷の名残りを望む)
 オホーツク海に面した国道沿いの小高い段丘にあり、縄文早期から続縄文時代、オホーツク文化から擦文、アイヌ時代までの1万年に渡る200個を越える住居址があって、また、擦文時代の復元住居やアイヌ人が食べたオオウバユリ、エゾエンゴサクなどが見られる。

◆伝説・知床ウトロのオロッコとアイヌの戦い(寄りクジラ伝説)
 この岩島のうえにはオロッコ人(ウィルタ)が住んでいて、その下をアイヌ人が通りかかると、島の上から石や木を投げつけて悪さをするので、アイヌの人たちはホトホト困り果て、何度も追い払おうとしたがなかなかなりません。

 そこでアイヌ方では一計を案じた。
 
 こっそり夜中に海草を集めてクジラの形を作り、そこに魚を置いたところ、朝になると鳥たちが群がって大騒ぎ。
 それを見たオロッコ人たちは岸にクジラが寄ったと勘違いして島から下り、喜び勇んで駆けて来たところを待ち伏せしていたアイヌ人が攻めて、オロッコ人は全滅してしまった。
(道東北に同様の挿話が散見される)

◆明治のアイヌ居住地(給与地)との関係
第44回くじら寄る(関連/第37回)

北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/


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