さぽろぐ

文化・芸能・学術  |札幌市手稲区

ログインヘルプ


2008年02月17日

エッセイ、ふたつのモンベツ

~有島武郎と本庄睦男

□紋別教会と「或る女」
 伊達紋別のキリスト教会にある明治30年ころの写真には、明治の文豪有島武郎の小説「或る女」のモデル佐々城信子が写っていると云う。この信子の生家は元仙台藩士で、明治26年に旧知の伊達開拓団を頼って来道したが、その2年後には上京して国木田独歩と結婚した。
 このとき独歩は信子との新たな生活を北海道での開拓に求め、新渡戸稲造の紹介で殖民地を出願して空知を視察したりもしたが、その結婚生活もわずか半年に終わり、独歩の北海道移住計画は夢に終わった。そして後に、この体験を著したのが小説「空知川の岸辺」と「牛肉と馬鈴薯」である。


◆「空知川の岸辺」
 目的は空知川の沿岸を調査しつゝある道庁の官吏に会つて土地の撰定を相談することである。中略 石狩の野は雲低く迷ひて車窓よりの眺むれば野にも山にも恐ろしき自然の力あふれ、此処に愛なく情なく、見るとして荒涼、寂寞、冷厳にして且つ壮大なる光景は恰も人間の無力と儚さとを冷笑ふが如くに見えた。

 
□本庄睦男と私の一族
 さて、この教会には北見紋別の開発功労者の島竹貫一が関係していて、それは教会が明治24年に設立した「北海孤児院」に彼が一時期いたからで、教会には伊達邦成の主従も入信したが、その同族の伊達邦直らによる当別への入殖風景は、後に当紋別市(旧上渚滑村)へ再転住した本庄睦男の小説「石狩川」に詳しい。

  大観堂初版/昭和14年エッセイ、ふたつのモンベツ
◆石狩川
 をこがましくも作者は『石狩川』の興亡史を書きたいと念願した。川鳴りの音と漫々たる洪水の光景は作者の抒情を掻き立てる。その川と人間の接觸を、作者は、作者の生まれた土地の歴史に見ようとした。そして、その土地の半世紀に埋もれたわれらの祖父の思ひを覗いてみようとした。
  あとがき抜粋

 余談ではあるが筆者の一族も当別からの再転住であり、同じくに旧上渚滑村に住まいしたが、当別時代に本庄睦男の兄と私の伯父は職を同じくしたことがあり、転住後も父が甥と面識があって、私もほかの親族と同じ職場で働いたことがある。
 また、本庄家は佐賀県の出身で当別において小間物店をしていたが経営に失敗、そして私の父方の祖母の実家も九州の福岡県であり、祖父は同様に商売につまずいての旧上渚滑村への再転住だった。何ほど縁の深いことか。
  第16回歴史と文学                  西辰寺・本庄家の墓碑/紋別市内エッセイ、ふたつのモンベツ



北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/        


あなたにおススメの記事


同じカテゴリー(トピック)の記事画像
聖徳太子孝養像
黄金の輝き
美唄市東明3区の旧三菱の炭住
上藻別駅逓保存会が功労賞受賞
北大・潜水艇くろしお号
ゼロ戦シンポジウム      
同じカテゴリー(トピック)の記事
 聖徳太子孝養像 (2017-07-12 18:54)
 黄金の輝き (2015-08-11 06:39)
 美唄市東明3区の旧三菱の炭住 (2015-01-05 14:03)
 上藻別駅逓保存会が功労賞受賞 (2014-10-22 04:19)
 若者と指導者達へ (2014-03-02 18:04)
 北大・潜水艇くろしお号 (2014-02-07 04:38)
Posted by 釣山 史 at 00:04│Comments(0)トピック
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
削除
エッセイ、ふたつのモンベツ
    コメント(0)