さぽろぐ

文化・芸能・学術  |札幌市手稲区

ログインヘルプ


2017年07月01日

住友鴻之舞鉱業所100周年


住友鴻之舞鉱業所100周年 ~紋別のゴールドラッシュ 1/3 『鴻之舞』は、アイヌ語の(ク・オマ・イ=仕掛け弓がある処)に将来の発展を祈念し、(鳥王コウノトリが舞うが如し)と、発見者らによって名付けられた。本年は、大正六年に住友鴻之舞鉱業所が開所して百周年にあたり、紋別市ではさまざまなイベントが予定されている。さて、ここでは鉱業所の開所までの前史について述べる。○鴻之舞の出願競争 さて、大正六年に買山し、後に住友財閥の大躍進を呼んだ東洋一の大金山は、同三年に上藻別六線沢で鉱床が発見され、翌年、元山口之沢で転石を採取したのに始まる。大正五年には元山大露頭が発見され、飯田嘉吉を組合長として操業を開始したのであるが、そこにはまるで小説まがいの鉱区出願競争があった。沖野永蔵と羽柴義鎌は、大正五年三月十三日に試掘許可を得た。これまで秘密裏に運んでいたのだが、沖野が不在中、万事に派手好きな羽柴が一席やってしまった。しかし、招待者は、気もそぞろに緊迫し、祝宴半ばに解散となった。先年には、八十士砂金騒動と呼ばれる騒乱を起こした面々である。さて、飯田組は、翌早朝、最寄りの社名淵駅(遠軽)まで馬車を馳せ、その日は野付牛(北見)に泊まり、翌朝に札幌へ向った。一方、古屋組も早々に札幌へ走ったが、途中、野付牛の駅頭で双方がばったり、互いに相手方の素早さに驚きながら、そ知らぬ顔で汽車に乗った。結局、金にものを言わせた飯田組が主だった鉱業代書人を買収して、相手方の動きを封じ、先手を打って沖野組鉱区の包囲出願に成功したと云う。 大正四年秋鐄脈露頭ヲ發見シ、同年十二月飯田嘉吉氏外一名ニテ試掘出願ヲナセシガ、翌年一月偶然鐄區東南ノ一角ニ於テ極メテ有望ナル鐄脈ヲ發見シ、俄カニ世評ニ上ル 北海道鐄業誌/大正13年 現在の上藻別六線沢 元山大露頭跡
第409号 住友鴻之舞鉱業所100周年 1     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/   

2017年07月01日

住友鴻之舞鉱業所100周年


住友鴻之舞鉱業所100周年 ~紋別のゴールドラッシュ 2/3 ○紋別のゴールドラッシュ 枝幸に始まった東洋のクロンダイクは、紋別の八十士や鴻之舞、沼の上と相次ぐ金鉱の発見へ繋がった。八十士砂金鉱/枝幸砂金を採り尽くして四散した山師のひとりが、手で掬えるだけの砂金に出くわしたのは、明治三八年の師走で、尾行までした出願採鉱の争いでは、紋別組と山形組(山形勇三郎)が鋭く対立、これに湧別組が加わった。この騒動では逮捕者を出し、鉱山監督署が介入して共同経営に落ち着いて、大正八年には住友へ売山された。鴻之舞金山/一般に伝わる発見の端緒は、知識があった今堀喜三郎が上藻別を有望とみて沖野に探鉱を委ね、大正三年の六線沢の金鉱発見となったが、このときは低品位で事業化しなかった。同四年に沖野は、さらに上流の谷間の沢に有望な砂金があると聞き、羽柴と探鉱を続け、翌五年には地理に明るい鳴沢弥吉の協力を求めて、ついに「元山大露頭」を発見した。さて、そもそも沖野へ話したのは、いったい誰か? 丸瀬布町史によると、明治二七年頃に上川近文コタンから渡ってきたアイヌ人の布施イタキレが、ある鉱山師に上藻別の沢で米粒大の砂金が採れると話したところ、共同しようと云われて案内したが、自分を除いた共同経営となり、『シャモにだまされた』と憤慨していたと云う。はてさて、操業までの出願競争もあって、ことの真偽はいったい何か…。沼の上金山/新たな金鉱発見に沸くなか、燐寸用材を伐採する黒川ほか六名が、有望な転石を発見したのが大正五年三月である。翌年には今掘と飯田を加えて試掘の許可を得たが、鴻之舞を知る今掘らは見劣りを感じ、後の大漁を逃がす結果となった。大正十一年には栖原角兵衛の所有に移って高品位な鉱床の発見となり、のちに三菱鉱業が買収して、金鉱整備令後も硅酸鉱として休山せずに操業した。
第408号 住友鴻之舞鉱業所100周年 2     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/   

2017年07月01日

住友鴻之舞鉱業所100周年


住友鴻之舞鉱業所100周年 ~紋別のゴールドラッシュ 3/3 ○鴻之舞の売山 相争う不利益と各自の資金不足から、ここに沖野・羽柴・今掘(以上沖野組)、飯田・池澤亨・岩倉梅吉(以上飯田組)に発見の功労者として鳴沢と橘光桜を加えた八人衆の匿名組合が発足した。しかし、余りの大規模さと鉱山長となった吉田久太郎の資金の使いっぷりに事業費に窮した組合は、日立鉱山と幌別鉱山へ露頭下の高品位な鉱石を三万円で売り、急場をしのいだ。こうして日本一の大金山の発見は、たちまち中央の知るところとなり、結局、九十万円をポンと出した住友に売山され、これら発見からの裏表は山師たちの伝説となり、一攫千金を得た八人衆も悲喜交々の後日譚を残すことになった。 百周年記念事業/紋別市 最初の精練所 昭和10年頃 売山契約書 特別展 鉱山開山100周年 開山100周年記念式典 開山100周年記念祝賀会 札幌交響楽団念コンサート 鉱山開山100周年・講演会
第407号 住友鴻之舞鉱業所100周年 3     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/