2011年12月23日
白瀬隊長毒殺未遂

明治の南極探検4 ○白瀬隊長暗殺未遂事件 「吠える40度、狂う50度、叫ぶ60度」と云われる暴風圏において、たった204㌧の開南丸は、まるで漂う木の葉のようだった。南氷洋では、危うく氷塊に押しつぶされるところだった。 南極大陸に到達するという目標を失った隊員たちは、緊張の糸が切れたのか体調を崩すものも多く現れ、そして船員と陸上員とが対立するようになる。何事も軍隊式の白瀬にも不満だった。 こうして起こったのが「白瀬隊長暗殺未遂事件」で、白瀬を毒殺して探検を切り上げ、そのまま本国へ引き揚げようと謀ったが、それを察知した山辺と花守が白瀬に伝えて事なきを得た。記録には残されていないが、白瀬自身が近親者に語ったもので、信ぴょう性は高い。 再起を計った第2次探検では、隊員の入れ替えが行われており、これと関係しているのかも知れない。 出典「白瀬中尉探検記・S17年」
第289回 白瀬の南極探検 北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
Posted by 釣山 史 at 09:19│Comments(0)
│郷土の語り
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