2011年04月10日
にわか「鉄」の巻7
北見滝ノ上駅・旧渚滑線①
・大正12年11月5日に、名寄線の「渚滑駅」から「北見滝ノ上」までの渚滑線が開通。
・昭和53年12月1日に全線の貨物営業を廃止。
・昭和56年9月18日に第1次特定地方交通線に指定。
・昭和60年4月1日、全線が廃線。
請願書/滝上町郷土資料館(SL館)蔵
当初は、地元の有力者であった「岩田宗晴」道議が士別から滝上に至る経路を提唱、つづいて渚滑村(現紋別市渚滑、同上渚滑、滝上町)は、上興部から滝上を経て渚滑に至る路線の開通をめざし、全村あげての「縦貫鉄道期成会」を結成した。このとき滝上地区の全住民が政友会へ入党し、時の政友会幹部で鉄道院総裁の「床次竹次郎」へ陳情したと云うエピソードも残っており、結局は渚滑-滝上間の単独線として開通した。
渚滑線は、紋別郡の内陸部の農林資源の開発を目的に、『軽便鉄道法』によって計画されたもので、これによって橋梁や農地へ被害をもたらしていた渚滑川の流送は廃止され、木材の滅失や品質の低下は軽減されて、関東大震災後の復興事業とも重なり、木材業が活況し、また、農産物やでんぷんの生産など、原野奥地の開発は目覚しく発展した。
滝上町郷土資料館には、SLが展示されている。







第236回 殖民軌道、渚滑線の陳情 北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
・大正12年11月5日に、名寄線の「渚滑駅」から「北見滝ノ上」までの渚滑線が開通。
・昭和53年12月1日に全線の貨物営業を廃止。
・昭和56年9月18日に第1次特定地方交通線に指定。
・昭和60年4月1日、全線が廃線。
請願書/滝上町郷土資料館(SL館)蔵
渚滑線は、紋別郡の内陸部の農林資源の開発を目的に、『軽便鉄道法』によって計画されたもので、これによって橋梁や農地へ被害をもたらしていた渚滑川の流送は廃止され、木材の滅失や品質の低下は軽減されて、関東大震災後の復興事業とも重なり、木材業が活況し、また、農産物やでんぷんの生産など、原野奥地の開発は目覚しく発展した。
滝上町郷土資料館には、SLが展示されている。
第236回 殖民軌道、渚滑線の陳情 北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
Posted by 釣山 史 at 21:35│Comments(0)
│鉄の部屋(軌道・鉄道)
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