2010年07月29日
道南・文化財散歩から2
家印(いえじるし)から見る道南の旅
この7/16~18にかけて、北海道文化財保護協会では、道南の古都、江差町と上ノ国町ほかを巡見しました。
特定の集団=「家(商店)」などを記号化して表わしたものを家印(商標、ロゴマーク)という。
旧笹浪家住宅全景 道文化財保護協会の皆さん
家印 円空仏
(国)重要文化財・旧笹浪家住宅
~上国町の町名のいわれ
秋田から津軽にかけてを領した安東氏は、安倍貞任の後裔と云われ、鎌倉時代には蝦夷代官として蝦夷地を支配したが、室町時代には、「上国家」と「下国家」の2家に分裂した。15世紀半ばの北海道南部には、小豪族による12の舘(砦)があったが、北斗市の茂別館にあった下国氏に対し、この地を統治したのが上国氏であり、町名の由来である。
さて、大よそ300年前の享保年間に能登から渡った笹浪家の五代目久右衛門が19世の紀初頭に建てたと云われる「旧笹浪家住宅」。幾度かの改築を経て現在に残る北海道で最古の一般民家であり、日本海沿岸の各地に残る鰊番屋の原型である。
ここの家印には特徴があり、『°Λニ』は、「星、山、に」と呼ぶ、シャレたもので、屋号は能登屋という。
旧関川家別荘
家印
関川商店の看板
(町)有形文化財・旧関川家別荘
~蝦夷地一の豪商
初代は、大よそ330年前の天和年間に松前城下へ渡り、後に江差に移り住むと酒屋や廻船問屋を営んで、沖ノ口役所(税関)の業務を代行し、御用商人として名字帯刀を許された。最盛期には、自己所有の3隻の北前船のほか、10隻を傭船していた。家印の『Λニ十』は、「やま、に、じゅう」と呼ぶ。
さて、この関川家との関係は分からないが、写真の関川商店には『又十(また、じゅう)』とあり、それは始め松前に本店、箱館に支店を置いて、幕末から明治の北海岸から根室にかけてほかの各地を仕切った大商人柏屋・藤野家との関係が考えられる。
旧中村家住宅(真ん中) 関川商店(右奥)
(国)重要文化財・旧中村家住宅
~ニシン漁全盛の時代
江差町は、「江差の春は江戸にもない」と云われたくらい、かっては隆盛を誇ったニシン大尽のマチ。
旧中村家住宅は、海産物の仲買人であった近江商人の大橋宇兵衛が建設したもので、回船業も兼ねていた。白漆喰の切妻造りにハネ出しという代表的な問屋建築であり、主屋は明治22年頃、土蔵が幕末に建設された土蔵造りの町家で、中村米吉が大正期に譲り受けたものである。
家印は、『△一』で「うろこ、いち」だ。
旧中村家住宅の内部と家印
第194回 文化財巡り2010 北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
この7/16~18にかけて、北海道文化財保護協会では、道南の古都、江差町と上ノ国町ほかを巡見しました。
特定の集団=「家(商店)」などを記号化して表わしたものを家印(商標、ロゴマーク)という。
旧笹浪家住宅全景 道文化財保護協会の皆さん
家印 円空仏
(国)重要文化財・旧笹浪家住宅
~上国町の町名のいわれ
秋田から津軽にかけてを領した安東氏は、安倍貞任の後裔と云われ、鎌倉時代には蝦夷代官として蝦夷地を支配したが、室町時代には、「上国家」と「下国家」の2家に分裂した。15世紀半ばの北海道南部には、小豪族による12の舘(砦)があったが、北斗市の茂別館にあった下国氏に対し、この地を統治したのが上国氏であり、町名の由来である。
さて、大よそ300年前の享保年間に能登から渡った笹浪家の五代目久右衛門が19世の紀初頭に建てたと云われる「旧笹浪家住宅」。幾度かの改築を経て現在に残る北海道で最古の一般民家であり、日本海沿岸の各地に残る鰊番屋の原型である。
ここの家印には特徴があり、『°Λニ』は、「星、山、に」と呼ぶ、シャレたもので、屋号は能登屋という。
旧関川家別荘
家印
関川商店の看板
(町)有形文化財・旧関川家別荘
~蝦夷地一の豪商
初代は、大よそ330年前の天和年間に松前城下へ渡り、後に江差に移り住むと酒屋や廻船問屋を営んで、沖ノ口役所(税関)の業務を代行し、御用商人として名字帯刀を許された。最盛期には、自己所有の3隻の北前船のほか、10隻を傭船していた。家印の『Λニ十』は、「やま、に、じゅう」と呼ぶ。
さて、この関川家との関係は分からないが、写真の関川商店には『又十(また、じゅう)』とあり、それは始め松前に本店、箱館に支店を置いて、幕末から明治の北海岸から根室にかけてほかの各地を仕切った大商人柏屋・藤野家との関係が考えられる。
旧中村家住宅(真ん中) 関川商店(右奥)
(国)重要文化財・旧中村家住宅
~ニシン漁全盛の時代
江差町は、「江差の春は江戸にもない」と云われたくらい、かっては隆盛を誇ったニシン大尽のマチ。
旧中村家住宅は、海産物の仲買人であった近江商人の大橋宇兵衛が建設したもので、回船業も兼ねていた。白漆喰の切妻造りにハネ出しという代表的な問屋建築であり、主屋は明治22年頃、土蔵が幕末に建設された土蔵造りの町家で、中村米吉が大正期に譲り受けたものである。
家印は、『△一』で「うろこ、いち」だ。
旧中村家住宅の内部と家印
第194回 文化財巡り2010 北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
Posted by 釣山 史 at 19:38│Comments(0)
│北海道文化財保護協会
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