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2009年12月06日

南極犬・紋別のクマ(改訂)

南極犬・紋別のクマ(改訂) 南極犬物語り ~もんべつにもいた南極犬 タロとジロ 昭和31年11月に砕氷観測船「宗谷」で出発した第一次隊に参加し、悪天候のため南極の昭和基地に置き去りとなったカラフト犬「タロとジロ」の生存が確認されたのは同34年1月、日本中に大きな感動を与えた。 その後も皆に愛され活躍したジロも昭和35年に南極で、タロが同45年に引退先の北大で死亡し、はく製となったジロの遺体は国立科学博物館にタロは北大に保存され、また、東京タワーには「南極観測で働いたカラフト犬の記念像」がある。 この第一次隊の最初のカラフト犬による犬ゾリ訓練犬38頭のうち、南極観測に参加したのはアカ、アンコ、クロ、比布のクマ、風連のクマ、紋別のクマ、ゴロ、ジャック、シロ、ジロ、シロ子、タロ、テツ、デリー、トム、ペス、ベック、ポチ、札幌のモク、深川のモク、ミネ、リキの22頭。トム、ミネ、札幌のモクは病気や怪我で途中帰還し、タロとジロの兄弟サブロは訓練中の稚内で死亡した。その時の訓練所は遠く樺太を望む今の稚内公園で、園内には「南極観測樺太犬記念碑・樺太犬供養塔」がある。 モンベツのクマと網走での訓練 ときには先導犬もつとめた「モンベツのクマ」はきかん坊で、傷が絶えなかった。赤い右目に黒い左目、そして白い胸毛が特徴で、ほかの犬が疲れたときに力を発揮した、いかにもカラフト犬らしい犬。「風連のクマ」・「比布のクマ」、「深川のモク」とは兄弟で、タロとジロとの伯父にあたる。 稚内市での訓練は有名だが、この網走管内においても、先発隊が昭和31年1月16日に網走湖の女満別側へ入り、雪上飛行機と雪上車の訓練がなされ、続いて同月24日迄に濤沸湖に入った総員28名は、翌25日から2月15日までの間、同湖の網走側に「南極の家」を建設して総合訓練を行ったが、この4日には、砕氷観測船「宗谷」の要員による酷寒の根室を南極と見たてた耐寒訓練が行われていた。 さて、網走での訓練隊がカラフト犬を募集していることを新聞で知り、稚内などで買い求めていると聞いた紋別市の目時一也君(当時12才)と弟の春也君(同10才)は両親と相談し、『自分の愛犬をぜひ連れていってほしい』と犬ゾリ隊の編成に奔走する西堀副隊長へ手紙を書いた。このときモンベツのクマは生後1年1ヶ月のまだ幼犬であったが、毎日ソリを引いては、坂道でもたくさんのお米を軽々と引き上げたそうだ。




















 第162回 南極に行った、目時さんのクマ     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

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Posted by 釣山 史 at 04:08│Comments(0)紋別の歴史
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