2014年01月01日
冷食の始まり
祝 紋別市制と水産冷食60年 旧紋別町と渚滑村、上渚滑村が合併して紋別市となり、60周年ですが…、今様の水産冷食の始まりは紋別市から!! ~紋別のスケソウ加工 戦時の水産統制は昭和15年に始まった。沖合底曳船で大量・安価に供給されるスケソウは傷みやすかったが、これを加工原料に大量生産、大量輸送を可能とした“焼竹輪”は、代表的な配給水産物となった。しかし、市場流通が改善し、昭和25年に統制が解除されると焼竹輪の製造は急速に衰退してしまう。それに替って大いに活況したのがスキミ加工であり、昭和30~40年代には紋別が全国生産量の7割強を占めるに至った。また、おりしも昭和29年に『学校給食法』が公布され、簡易に大量の調理が出来る新たな食品として“フィッシュ・スティック”が登場した。昭和29年に大洋漁業㈱紋別工場ではコンタクトフリーザーを導入して竹輪からフィッシュ・ブロックの生産へと転換し、これを材料にフィッシュ・スティックの生産を国内で最初に開始した。このフィッシュ・スティックとは、スケソウフィレーなどをコンタクトフリーザーでブロック状に圧縮凍結したものを切断し、パン粉を付けて冷凍したもので、家庭用水産冷凍食品の走りである。 そして新技術の冷凍すり身の本格生産は、昭和35年の網走・斜里・余市に始まるが、翌年に日露漁業㈱紋別工場が新方式の水晒しタンクを設置したことで技術が確立し、瞬く間に主要な水産加工品となって行った。北海道紋別市 釣山史 (産業考古学会員、北海道文化財保護協会員)
第347回 冷凍白身フライの事始め 北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
Posted by 釣山 史 at 00:00│Comments(0)
│紋別の歴史
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