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2010年05月08日

消えゆく霧笛(再)

夜霧にむせび鳴く~さようなら浜の風物詩(校正)
本道の霧笛、131年に幕


~霧笛の歴史
 濃霧などで視界が利かないときに「ぼー、ぼうー」と鳴った海の道標が国内から消えた。音によって航路を示す霧笛は正式には航路標識「霧信号」と云い、3月31日に根室の納沙布岬、落石岬、花咲港と小樽の日和山を含む国内に残っていた最後の5カ所が全廃された。この3月19日には釧路港、浜中町湯沸岬、広尾町十勝港が、翌20日は厚岸町大黒島厚岸が同じく廃止されていた。
 霧笛は昭和43年をピークに全国で53カ所があり、道内では遠洋や沖合い漁業が盛んであった稚内や室蘭、紋別などに計28カ所があった。
 我国での音信号の始まりは、明治10年に鐘を叩いて鳴らす「霧鐘」が青森県の尻屋埼灯台に設置され、同12年12月20日(霧笛記念日)には霧笛となった。北海道では、同じく「霧鐘」が同11年に納沙布岬に設けられ、また、その後に火薬による爆発信号機が福山(松前)ほかに設置されたりもした。
 最近話題となった釧路では、大正11に行啓した摂政宮殿下(のちの昭和天皇)が濃霧に際し、「霧笛信号はありますか?」とお訊ねになったことから、同14年には釧路埼灯台に最初の霧笛が設置されたが、後に交代して2つめが設けられて、大正の霧笛は釧路市立博物館に保存されている。
 釧路では、昨年の11月に「釧路霧笛保存会」が結成され、入会案内のパンフレットを作成して参加を呼び掛けており、「学ぶ・伝える・聞く・保守管理」を基本に講演会や紙芝居など、『海の日や霧フェスなどのイベントと連動して、音を聞く場も提供したい』としている。

~霧笛在りし日の紋別港
 さて、そう言えば、当地の紋別港にあった霧笛の開廃止は、いったい何時であったのか?
 悲願であった築港が竣工したのが昭和6年、これに併せて北防波堤に紅白色の灯台が設けられたが、同29年には改修されて、赤色灯の通称赤灯台となった。
 戦後の遠洋漁業が再開され、地元船ばかりではなく入会の沖合い底引き船で賑わいを見せ始めていた頃で、翌30年10月1日には、紋別市によってモーターサイレン式5馬力の霧笛が、北防波堤灯台に付設され、翌年には海上保安部へと移管されて、後の同56年には船揚げ場付近へ移転された。
 GPSなど船舶機器の性能の向上もあり、航路標識としての役割は薄れ、霧笛の老朽化もあって、惜しまれつつも「紋別港北副防波堤霧信号所」は、平成10年9月1日をもって廃止され、翌年には撤去された。


廃止時の霧笛/北海道新聞                         初代設置が間もない頃/昭和31年紋別市勢要覧















第176号 むせぶ夜霧に鳴く霧笛

  

Posted by 釣山 史 at 06:47Comments(0)北海道の歴史