郵便ラッパを入手
郵便ラッパと逓送 幕藩時代は会所、運上屋、通行屋などと云い、宿泊と人馬継立を担い、明治5年に「駅逓場」と称して開拓使管下とし、駅逓取扱人を置いた。駅逓の多くは郵便局を兼ね、逓送路線では逓送業務も行った。これは“郵便ラッパ”と云って郵便逓送集配人が獣避けや連絡用に使用したもので、北海道庁の刻印があることから駅逓取扱人の所有だったかと思われる。また、逓送人は、強盗などに備えて“郵便物保護銃”を携帯していた。 大正時代の逓送 『その頃の逓送は、現金などを、駄鞍につけて運ぶ者と、普通小包を馬車で運ぶ者と二種類あって、何れも二人一組でした。用心のためにピストルが渡され、六連発の弾丸を込めて腰に、皮のバンドで下げていました。 中略 汽車の時間表のように、出発到着の時間が定められており、時間に遅れて到着すると、延着理由書を書かされました。夏は延着することはなかったが、冬は吹雪で度々遅れたことがあります。逓送馬は殆ど土産子で、居眠りして落馬し、あぶみから足が外れず、仲間に助けられたこともありました。後略。』 一ノ橋、田所駅逓々送夫、千葉正胤談/西興部村史
第433 郵便ラッパと逓送
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