東都と北都の並木

釣山 史

2011年05月11日 21:26

久那志利恵土呂府二島紀行
 補追、野付のお話し


 これは農学者で開拓使の嘱託でもあった津田仙が、辞職後に発刊した開拓使に関わる「北海道開拓雑誌」に掲載されたもので、
 箱館奉行の組頭(のち外国奉行)であった栗本鋤雲(匏菴)が文久3年4月に標津を出立し、当時、通行屋があって渡島の中継地であった野付を経て、クナシリ、エトロフを巡視した貴重な記録。
 医師でもあった栗本は、箱館近郊の七重に薬草園を開き、また、松や杉の苗を植栽して五稜郭や湯の川、七重の街道に移植した。折しも、ウィーン万博に参加した津田も、この時にニセアカシアの種を持ち帰り、これは後の明治8年に大手町に植えられて、東京初の街路樹となった。



第244回 並木のお話し    

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