おたす丸の写真

釣山 史

2010年01月11日 07:21

樺太・おたす丸の貴重な写真

 後に網走へジャッカドフニ(大切なものを仕舞っておくところ)を建設したダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(北川源太郎)は、樺太敷香の幌内川の三角州にある、先住民の集落「オタスの杜」に育った。
 強く日本人になろうと望んだゲンダーヌは、そこにあった先住民のための学校「敷香教育所」を優秀な成績で卒業すると、川村秀弥校長の推薦で、先住民として初の公僕となる。
 敷香支庁の給仕を経て、敷香市街とオタスの杜を結ぶ連絡船『おたす丸』の船長となったが、この頃が一番平穏で幸せだったかもしれない。その後、ゲンダーヌは時代と国家に翻弄されながら、苦難の道を歩むことになる。

 さて、あらためて手持ちの資料を整理していたところ、「おたす丸」が写っている写真絵はがきを発見した。この『おたす丸』の写真はなかなか無く、貴重なもので、

 そこには『樺太景観 敷香幌内河畔に佇んで望むおたすの森の景』とあり、向こう側が「オタスの杜」である。台紙を見る限り、オタスにあった「半澤写真館」のものかどうかは、判別できない。












第166回 幌内川のオタス丸・写真     

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