さぽろぐ

文化・芸能・学術  |札幌市手稲区

ログインヘルプ


2024年02月10日

内閣情報部(のち内閣情報局)

終戦80年、NO.002
内閣情報部(のち内閣情報局) 昭和11年の2・26事件の際、内務省警保局が記事の掲載禁止を通告したが、これが切っ掛けとなって、言論統制がいっそう強化されて行くことになった。それまで各省の情報担当間で調整を図っていた「情報委員会」は、昭和11年7月1日に内閣総理大臣下の正式な「内閣情報委員会」になる。内閣、外務省、内務省、陸軍省、海軍省、逓信省から常任委員を派遣した。翌年9月25日には拡充されて「内閣情報部」に組織替えとなった。こうして昭和16年12月8日の太平洋戦争の開戦当日、内閣情報局が戦争報道は大本営が発表する以外の記事掲載を一切禁止し、政府の都合の良い戦意高揚を煽るだけの報道が垂れ流された。大本営発表のラジオのBGMは、陸軍が「観兵式行進式」、海軍は「軍艦マーチ」、玉砕などは「海行かば」だった。国民へ向けた国威発揚、戦時啓発のために内閣情報部(のち内閣情報局)が刊行した『写真週報』は、昭和13年2月16日付の創刊号(写真)に始まり、終戦前月の昭和20年7月11日付の374・375合併号まで続いた。 終戦80年、NO.002 大本営海軍部で伏見宮殿下 報道写真海軍作戦記録 昭和19年刊  

2024年02月08日

東宮さま、巴里へ行く

終戦80年、NO.001


皇太子さま、巴里へ行く 今年は、パリ・オリンピック!! 昭和天皇が皇太子時代にヨーロッパを外遊し、エッフェル塔を訪れたときの写真。 ヨーロッパを外遊中に殿下に似た親戚にあたる従者が殿下になりすまし、殿下本人は一般人の振りをし、自由に周遊したとの話も…。 さて、来年の終戦80年へ向けて、これから戦時を語って行きます。 終戦80年、NO.001 皇太子殿下御渡欧記念写真帖 第10巻  

2021年01月01日

最果ての日本史 続

目次2


目次 第一話 道内では希少な洞窟遺跡 網走市 第二話 旧石器時代の工房 遠軽町 第三話 紋別のゴールドラッシュ・上 紋別市 第四話 紋別のゴールドラッシュ・下 紋別市 第五話 金・銀・オパール 紋別市 第六話 鉱毒事故 紋別市 第七話 焼竹輪とすり身 北海道 第八話 氷田 紋別市 第九話 マグロが鮮魚流通に与えた影響 道内外 第十話 鮮魚介類のブランド考・上 道内外 第十一話 鮮魚介類のブランド考・下 紋別市ほか 第十二話 紋別石と箱館焼 函館市ほか 第十三話 上湯ノ川石灰製造所 函館市ほか 第十四話 勝田温泉効能書 函館市 第十五話 胃袋の宣教師 函館市・北斗市 第十六話 寄鯨のこと 斜里町・紋別市・白糠町ほか 第十七話 万次郎の子孫 木古内町、紋別市ほか 第十八話 ウバユリ粉の餅菓子 函館市 第十九話 北海道で最初のハッカ栽培 石狩ほか第二十話 開進社その後 湧別町・北見市・紋別市 第二十一話 騒がれた紋別築港問題 紋別市 第二十二話 紋別港、戦後間もない頃 紋別市 第二十三話 戦前のトップ女優 岡田嘉子 小樽市ほか 第二十四話 ヒットメーカー美ち奴 姐さん 浜頓別町 第二十五話 伝説のムーラン・ルージュ 札幌市・小樽市 第二十六話 新紙幣の肖像 北海道 第二十七話 札幌オリンピックとたくちゃん 北海道 第二十八話 拓銀のハッピ 北海道 第二十九話 旧留萌佐賀家漁場 留萌市
第三十話  角十佐藤家 佐藤栄右衛門 寿都町 第三十一話 又十の住吉丸 松前町・斜里町・網走市 第三十二話 知床三堂祭 斜里町 第三十三話 眞久寺の六角堂 旭川市 第三十四話 明治時代の危険品庫 富良野市ほか 第三十五話 竹田判官の奉献額 稚内市 第三十六話 文化住宅・草鹿邸 紋別市 第三十七話 生き残った円形校舎 幌加内町ほか 第三十八話 最初の御真影 道内外 第三十九話 御真影と教育勅語の事件簿 月形町・留萌市・足寄町・寿都町 第四十話 昭和の御真影 道内外 第四十一話 犬皮のドンザ 北海道 第四十二話 南極観測隊の訓練 稚内市・網走市・大空町ほか 第四十三話 最初期の林産開発 北海道 背景図、宗谷が灯台保安船のころ 南極学術探検と朝日新聞 昭和31年刊


第442号 北海道の歴史と文化    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/   

2020年11月03日

最果ての日本史

 今まで書き溜めていたものを
  再構成して緩く分かりやすく、1P完結にしました。
  自然、科学、文芸、人物、音楽、産業ほか
  北海道に関わる資料集になっています。
  上中下巻、本編が97話、表紙が3話の計100話あります。
  並みの文献には載っていない情報がいっぱい。



最果ての日本史 第一話 流氷のうた 第二話 毛ガニ拾い 第三話 南極犬・もんべつのクマ 第四話 危険だった遠洋漁業 第五話 啼かなくなった霧笛 第六話 マルキパンと石北線 第七話 渚滑線の開通 第八話 下湧別浜、機雷爆発事件 第九話 高級建材となった貝灰 第十話 湧別地方の煉瓦建築物 第十一話 冷凍食品のはじまり 第十二話 紋別発、鮮魚輸送試験 第十三話 紋別駅のこと 第十四話 北見ハッカの起源 第十五話 北限のリンゴ 第十六話 紋別地方の製軸ブーム 第十七話 金鉱整備令と鴻之舞休山 第十八話 薯版画家・香川軍男 第十九話 ブラキストンが来た 第二十話 『紋別の歌』の作詞者 第二十一話 当地へやって来た潜水艇 第二十二話 昭和十一年の皆既日食 第二十三話 日露戦争と湧別屯田兵 第二十四話 北見峠の開削 第二十五話 貴重な土木遺産ふたつ 第二十六話 道路元標 第二十七話 ◇イ田中商店のこと 第二十八話 紋別の奉安殿 第二十九話 江戸時代の掛軸 第三十話 網走の葛籠と高札 第三十一話 大鮃(オヒョウ)の話し 第三十二話 革命をもたらした鰊角網 第三十三話 もんべつの捕鯨 第一話 スキーとスケート 第二話 昔の冬のはき物 第三話 初代ガリンコ号 第四話 海成段丘と海跡湖 第五話 地名考第六話 ホタテの名称 第七話 ホタテのエキス 第八話 伝統食と郷土料理 第九話 壱万円札考 第十話 美幌に伝わる尺杖の神事 第十一話 備前焼のニ宮金次郎像 第十ニ話 教育勅語のこと 第十三話 母の樺太体験 第十四話 オタスの杜の半澤写真館 第十五話 作家、本庄陸男の時代 第十六話 浦臼の岩村農場 第十七話 岩村長官の旭川開発 第十八話 最後の駅逓所 第十九話 武林写真館の鉄道三葉 第ニ十話 どんぐりころころ 第二十一話 道民のソウル・ダンス 第二十二話 紋別沖揚音頭 第二十三話 第一次知床ブーム 第二十四話 白瀬南極探検隊 第二十五話 最初の青函航路第二十六話 連絡船の車両航送 第二十七話 国内初のコールドチェーン 第二十八話 小説『蟹工船』のモデル 第二十九話 著名な蟹工船 第三十話 新撰組が作ったリンゴ 第三十一話 幕末・明治の捕鯨 第三十二話 幕末の箱館市街図 第三十三話 東西本願寺の殖民 第一話 函館戦争の図 第二話 箱館通宝 第三話 開拓使兌換証券 第四話 現如上人北海道巡錫錦絵 第五話 蝦夷土産道中寿五六 第六話 北海道鰊大漁概況之図 第七話 蝦夷地随一の旧家、田付家 第八話 桑園の開墾 第九話 明治の御巡幸と御乗物 第十話 最初期のホタテ漁 第十一話 ホタテ罐詰と玉冷 第十ニ話 天皇陛下の映画 第十三話 ホタテ民謡と浪花節 第十四話 山崎部隊の感状 第十五話 軍神、加藤隼戦闘隊長 第十六話 開発局の北方領土開発計画 第十七話 近江の大商人、藤野家と罐詰 第十八話 函館氷と鮮魚輸送試験 第十九話 たくさん獲れた底引きカレイ 第ニ十話 時代のサブカルチャー、パッチと双六 第二十一話 石狩油田と軌道敷設問題 第二十二話 生きもの考第二十三話 タンチョウの保護 第二十四話 磯焼けを定義した遠藤博士 第二十五話 名プロデューサー河合裸石 第二十六話 北海道庁の移民政策 第二十七話 タコ部屋労働 第二十八話 札幌市街區劃明細圖 第二十九話 北海道製麻の輸出用麻布 第三十話 開拓使地券 第三十一話 炎上した旧北海道本庁舎


第441号 北海道の歴史と文化    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/   

2019年12月15日

張碓、鉄道路盤竣工の図



幌内鉄道路盤竣工の記念写真 手宮から始まった敷設工事が熊礁第4隧道までを終えて、試運転を開始したのが明治13年10月24日、11月11日には銭函までの仮営業を開始した。本図は明治12年10月、張碓カムイコタンの断崖絶壁に完成した路盤をバックにした記念写真。最前列で腰かけているのが札幌農学校第1期生の小野寺琢磨、その上の外国人がクロフォード博士。このときの人夫たちは全て江戸っ子だったという。
第440号 小樽カムイコタン、鉄道路盤竣工の図          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

2018年12月17日

戦前の鮮魚輸送 要旨


〇要 旨 豊州市場の開場よりも、むしろ築地市場廃止のイ ンパクトが強い。さて、関東大震災によって魚市場が日本橋から 築地へ移転した頃、既に最奥のオホーツク紋別か ら相当量の鮮魚が送られていた。いったいどのよう に東京へ運ばれたのか? ●北海道では、明治 36 年に“生鮭輸送保存試験” が行われ、石狩川で捕獲した鮭を札幌に運び、そこ から貨車に積載して東京深川の水産講習所へと送 った。これが本道における鉄道を利用した本格的な 鮮魚輸送試験の最初ではないかと思われ、当時の 交通事情を考えると室蘭まで鉄道を使い、室蘭から は郵船に貨載したと考えるが詳細は分からない。我国の鮮魚輸送試験は明治 25・26 年頃に氷蔵が試みられたが、その時は業界からの支持を得られず、あらためて同 40 年の各府県水産試験場長並びに水産講習所長協議会の決議によって試験が実施され、この時は良好な結果に事 業者達からも評価された。国内鉄道の冷蔵車は明治 41 年に登場し、道内では沖合底引き網 漁業が盛んになった大正11 年に30輛が配備された。大正14年から は、青函連絡船の“直積み航送”が開始されて内地への鮮魚輸送は 急増する。紋別に鉄道(名寄線)が開通したのは大正 10 年であるが、 昭和 3 年に紋別~隅田川間(築地市場の最寄駅)で、最新の冷蔵車 による“鰈と鱒”の鮮魚輸送試験が行われ、また、同 5 年には練製品 向けの原材料として“鮮鮫”を大阪梅田へ送る輸送試験がなされた。 当地には昭和5年当時で現在の漁協大型製氷施設の販売量に匹敵 する天然採氷があり、翌年には最新式の冷蔵施設が完成して、水産 物の地方出荷は益々盛んになって行く。昭和 10 年に“新築地市場”が開設されたとき、同時に『東京市場 駅』が設けられて“鮮魚特急”と呼ばれる貨物列車が走った。この間に 冷蔵車の度重なる開発・改良があり、速達化を図るための車輛連結 器の全国統一もあったが、そもそも鮮魚をコールドチェーンで結ぼう とする試みは北海道で始まったもので、車輛連結器も北海道仕様が 全国基準となった。そうして紋別は大手水産会社の進出などがあり、 戦後には国内水産冷凍食品の発祥地となった。第34回北方圏国際シンポジウム Transport of fresh fish before World WarⅡ 山田雅也 北海道産業考古学会 北海道文化財保護協会 紋別市役所

第437号 戦前の鮮魚輸送          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

2018年05月24日

北海道製麻会社の麻布



北海道製麻会社の麻布 明治20年に創立の『北海道製麻会社』は、同24年から工場の操業を開始した。もっぱら海外に頼る麻製品を国内で生産すべく亜麻を輸入移植して、製繊技術はフランスから導入した。最大の供給先は軍部であり、日清・日露戦争を経て、明治40年に日本製麻会社と合併、帝国製麻会社となる。この札幌工場は、今はなくなった「テイセン ボウル」があったところ。麻布には、“ロイヤル ネイビー”とあり、イギリス軍用に輸出したものか。
第436号 北海道製麻          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

Posted by 釣山 史 at 08:00Comments(0)北海道の歴史郷土の語り

2018年05月04日

道の歴史 講演会

2018年 IPAC主催講演のご案内


 北海道150年、
 北の大地を拓いたさきがけの“みち” 縄文・アイヌ期から近代の“みち”へ





号外         北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/



  

2018年03月31日

北の大地を拓いた先駆けの”みち”



北海道150年事業 認定 (講演)北の大地を拓いた先駆けの”みち” ~縄文・アイヌ期から 近代の”みち”へ~ とき 2018年6月15日(金)13:00から ところ 札幌市中央区北2条西7丁目 かでる2・7、大ホール 参加料 無料 主催 IPAC 一般社団法人 建設イノベーション推進機構 問い合せ TEL&FAX 011-731-3750、Mail ipac-info@ipac.or.jp ホームページ URL:http://www.ipac.or.jp/ この講演では、土木技術による社会基盤である“みち”の成り立ちを土木技術史の観点のみならず、考古・歴史などの他の研究分野を含めた時空的広がり・技術横断的な視点から、その背景を多角的に学び、そこから未来志向の動機を醸成することを目的としています。現在の北海道の発展は、明治以降の近代技術による道路・鉄道の整備から始まります。この“みち”づくり構想は、アイヌの人びとや更に先人の縄文期の道を歩んだ松浦武四郎等の蝦夷地調査によります。これら先人が築いた長い“みち”づくりの歴史を辿り、現在と未来の交通路のあり方を考える場とし、各分野の研究成果から明らかになった“みち”の成り立ちを縄文からアイヌ期、近世・近代の各時代を追って、ご専門の先生に解説していただきます。 ○基調講演 佐々木 利和 氏/北海道大学アイヌ・先住民研究センタ-客員教授、文学博士 ・演 題:アイヌの人びとの“みち”のことなど 今では知る人も少なくなりましたが、少し前の国鉄の駅名には、釧路、蘭留、咲来、留辺蘂、札鶴、室蘭、留産などというのがありました(読めますか?)。いずれもある共通なアイヌ語をもつ駅名なのですが、これらを通してアイヌの人びとの“みち”について考えてみたいと思います。 ○講演1 乾 哲也 氏/厚真町教育委員会軽舞遺跡調査整理事務所、学芸員 ・演 題:縄文時代からの北海道内陸ルート“キラキラ土器の道” 北海道胆振管内東部に位置する厚真町には、夕張山地南部からの太平洋に注ぐ二級河川厚真川が町内を南北に流下している。平成14年度より始まった厚真川上流域での厚幌ダム建設事業に伴う埋蔵文化財発掘調査では、出土した縄文土器に含まれている鉱物から富良野盆地ないしは十勝川上流域から運び込まれた土器が多数出土しており、以降、中世アイヌ文化期に至るまで厚真川-鵡川-空知川などの利用した約6,000年間にも続いた内陸ルートが判明しました。 ○講演2 中岡 利泰 氏/えりも町郷土資料館、館長 ・演 題:蝦夷地 北方警備の道 猿留山道 江戸時代18世紀末、蝦夷地周辺、千島列島にはロシア等の外国船が頻出、アイヌとの交易、上陸、襲撃略奪が生じ、江戸幕府は警備拡充の必要に迫られました。寛政十一(1799)年、幕府は蝦夷地を直轄、警備に不可欠な道として海岸線の難所に山道、猿留山道(えりも町)、様似山道(様似町)を開削したのです。伊能忠敬が測量、松浦武四郎が探査、紀行文・絵図から猿留山道の姿をご紹介します。蝦夷地における最初の山道開削は、近藤重蔵が指揮したルベシベツ山道(1798年:広尾町)。 ○講演3 黒岩 裕 氏/札幌市有形文化財、北海道遺産認定物件、旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)管理者 ・演 題:本願寺街道と簾舞通行屋~歴史と変遷 札幌市と道南を結び山間部を縦断する国道230号線、その原形 は明治4年に完成した「本願寺街道」です。5年には宿泊休憩所として開拓使が簾舞に「通行屋」を開設。しかし6年に「札幌本道」の完成により利用が激減し、忘れ去られる状態に・・・。“歴史は繰り返す”凡そ90年後に札幌と中山峠間の「定山渓国道」改良工事が奇しくも簾舞を基点に、のちに通行屋も文化財となる。道路と古建築の歴史をスライドにして紹介します。 ○講演4 山田 雅也 氏/北海道産業考古学会、北海道文化財保護協会 ・演 題:北海岸と中央道路に見る 最奥の駅逓所 駅逓所は、幕藩時代に会所、運上屋などと呼ばれて宿泊と人馬継立を行っていた。明治5年に『駅逓場』と称して開拓使の官下とされ、駅逓取扱人を配置し、多くは郵便局を兼ねて逓送も行った。最奥の“北海岸(オホーツク海)”では、旧来からの駅逓所が沿岸を結んでいたが、内陸を横断する“中央道路”が開削されると旭川から網走までの間に12の駅逓所が配置された。実際の移民旅行の様子を交え、道東奥地の駅逓所を解説する。 ○講演5 佐藤 卓司 氏/小樽市総合博物館主査、学芸員 ・演 題:開拓の進展を願った“鉄のみち”~北海道官設鉄道 明治時代に入ると北海道開拓使を設置し外国の近代技術を取り入れ開拓を進めます。事業の一つである鉄道建設はアメリカ人による技術指導で石炭輸送を目的に敷設されます。鉄道網は将来、石炭輸送だけではなく人や生活物資の輸送手段として交通の要になることを想定していました。その後、私設鉄道は産炭地や中央部への路線拡大を進めます。一方、道庁鉄道部は田辺朔郎を部長とし上川線、十勝線、釧路線などの路線敷設により開拓を促進します。本講演では北の大地を拓いた鉄路の“みち”について解説します。 開拓使時代の室蘭新道及銭函小樽間新道 ノ開墾実況 北海道道路誌 大正14年刊  瀧ノ上市街  官設駅逓所 渚滑瀧上の分村 大正7年刊
第435 北海道150年 道の歴史         北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

2018年01月08日

屯田兵の備品箱 レア



日清戦争 屯田兵・臨時第七師団備品箱 明治29年5月、札幌に第七師団が設置され、初代師団長は、永山武四郎少将だった。明治31年12月には全道で徴兵令が施行され、第七師団の鷹栖村への移駐が決定する。そうして明治34年11月の一部完成に伴い、歩兵第26、27、29連隊が先行移転、翌35年10月には司令部が移転した。さて、明治28年3月に日清戦争へ出兵のため、屯田兵による臨時第七師団が編成された。極めて限られた時代の遺物であり、たいへん貴重である。
第434 屯田兵・臨時第七師団備品箱         北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/