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2012年03月01日

歴旅・別海大好き








































































































































    








歴旅を楽しむ 野付通行屋遺跡めぐり 釣山史 別海町の旧奥行臼駅逓所(※1明治四三年に開設した駅逓所は、廃止後も旅館として使用され、厩舎ほかも現存する。駅舎は道有形文化財、古くからの景観を良く保つ)を国史跡とするための報告書の作成を、お手伝いした経緯から、昨春、以前から一度は訪れてみたかった『野付通行屋・番屋跡遺跡』の巡見に参加した。 野付通行屋は、東蝦夷地が松前藩から上地された一七九九年(寛政十一年)に、幕府によって置かれた官営の宿屋であり、いわゆる後の駅逓所のこと、以後、根室地方の各漁場を結ぶ起点として重要な役割を担って行く。前年には、近藤重蔵が『大日本恵登呂府島』の標柱を建て、同年には、高田屋嘉兵衛が択捉航路を開いて、野付は択捉島への渡航地となった。最盛期には、約六十棟もの漁舎が並び、遊郭などの『歓楽街キラク!?』があったとされ、その通行屋としての終焉すらもが不明である謎の多い伝説の地だ(※2標津側のポンニッタイには、幕命により西別から紋別までの警備に当たった会津藩士の墓碑がある)。 前日、あいにくの霧雨のなか、よく聞くアイヌ語地名の伊茶仁、茶志骨(※3伊茶仁とは、イチャン(鮭が産卵する穴)・イ(処)のこと。伊茶仁カリカリウス遺跡は、ポー川史跡自然公園として整備される国史跡の標津遺跡群のひとつ。そして茶志骨とは、チャシ(砦)・コツ(跡)のこと)を経て野付湾のふところに位置する尾岱沼の温泉宿に入る。広漠とした低湿地帯には、こんな天気が似合うと思った。意外と知られていないのは、鳥類の研究で有名な、あのブラキストンが明治二年に道東北を巡り、詳細な紀行文を残しているということ。野付では、ツルやオジロワシについて触れている(※4ブラキストンは、新政府から宗谷で難破した英国艦の調査を依頼されて函館を出港、道東の浜中に上陸すると、そこから海岸沿いに宗谷へ至った。ツルは、特別天然記念物のタンチョウと思われ、また、オジロワシも天然記念物)。約百四十年前に、ブラキストンが通ったであろう路である。温泉は、塩泉の温度が高くやわらかく、思いのほかイイ湯であった。知ってはいたが、名物のゴソガレイの「姿作り」に一瞬たじろぐ。 翌朝、みぞれ・強風のなか、野付半島ネイチャーセンターへ向かう。自然を愛する歴男・歴女、約二十人が集合した。巡見前に石渡学芸員の概要説明を聞く。石渡氏は、地元に残る寛政年間から明治初頭にかけての加賀家文書(※5江戸時代の末期に根室地方のアイヌ語通訳として活躍した加賀一族が残した古文書)を研究しており、本日の先導役だ。 さて、センターから数台の車に分乗し、龍神崎を経て、日ごろは一般車両が進入禁止の砂利道に侵入、通行屋跡までは、片道二km強を歩くことになる。途中、日常では見られない野鳥に出会う。そうして枯野にある大きな窪みは漁舎の跡だ。 さらに砂泥に足を取られながら干潟を行くと、わずかに土塁の痕跡が見て取れた。ここが通行屋の跡だという。以前にも訪れたことがある同道のご婦人によると、この二~三年で明らかに浸食が進んでいるという。もはや干潮のときにしかたどれない状況にある。 この蝦夷地の最奥に残る貴重な遺跡も、あと数年で完全に海中へ没してしまうだろう。平成十五年から十七年にかけては、喫緊の発掘調査が行われ、遺物の一部が資料館に収蔵された(※6収蔵品の中の面白いものに、幕末の箱館で鋳造されたが、全くの不評で短命に終わった『箱館通宝』があり、それでも最奥の根室地方にまで通用していたことが分かる)。 やや高い奥手には、慰霊塔と数基の墓碑が建っている。周辺に点在する小さな穴ぼこは、未発掘だが墓穴であろうとのこと。はるかな昔、この荒涼とした怪外の遠国に埋もれた魂は、如何に故郷を憶うのだろう。  ここから折り返して、砂州の一番高いところをとぼとぼ戻ると洗濯板のような微かな凹凸を発見、それは客土を施された畑の畝跡だった。ハマナスのトゲとげが体に刺さる、それを左右にかわしながら、腰痛持ちには、なかなか辛い道のりをしばらく進む。もう一基の墓碑を左手に見ながら、駅逓所の報告書をまとめられた戸田学芸員と肩を並べて帰路につく。道すがらの荒野に歴史談義の花が咲いた。 目標物も無く、荒野に溶け込むように点在する遺物、遺跡。ひとりでの探索は不可能と思われ、機会を与えて頂いた石渡氏、戸田氏に感謝々で、楽しい一日、ありがとうございました。 追伸 別海町には、そのほか旧標津線を記念した鉄道記念館や旧奥行臼駅があり、旧軍施設や奉安殿、道指定天然記念物の西別湿原ヤチカンバ群落地など、魅力がいっぱい。ぜひとも皆さんに来訪をおススメしたい。 会津藩士の墓碑 オンネ茶志骨  伊茶仁川 別海町のタンチョウ











第294回 別海町の文化遺産         北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

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