さぽろぐ

  文化・芸能・学術  |  その他北海道

新規登録ログインヘルプ


2016年06月17日

北海道開拓と門徒衆


北海道開拓と聖徳太子信仰 北見市のキリスト教団や滝上町の黒住教団による開拓は知られるが、浄土真宗門徒が語られることは少ない。親鸞は聖徳太子を教主とし、その徳や業績を賛美したのが太子講式であり、門徒衆が結束した講は、宗教としてだけではなく、地域共同体を形成し、これを母体に団体が入殖すると太子信仰を持ち込んだ。明治中期頃までの北海道開拓には北陸人が多く、また、漁業従事者の寄留・出稼ぎも多かった。松前藩は、一宗一派の政策をもって浄土真宗は東本願寺としたが、幕府が蝦夷地を直轄すると西本願寺の開教が認められ、佐幕派の東本願寺は維新後にひどく危機感を抱き、新政府に恭順を示して蝦夷地開拓を出願した。沼田町では、富山県の門徒団体が入殖に入り、雨竜本願寺農場を開いたが、同町のほか同じ地方の雨竜町・北竜町・幌加内町に太子信仰がある。十勝では、晩成社のほか富山県人や岐阜県人が入ったが、職人が祀る聖徳太子像を受けて晩成社が堂宇を建立し、これは東本願寺帯広別院の嚆矢となった。芦別市では、石川県と富山県から団体が入り、郷里から聖徳太子像が持ち込まれて太子堂が立つ。さて、聖徳太子は、百済から高度な建築技術を導入し、工芸美術を奨励して大規模寺院を建設したので、むしろ大工や鳶職らの職能神である太子講が馴染み深いが、太子堂や太子碑は、聖徳太子一千三百年御忌に建てられたのもが多い。帯広建設業協会の孝養太子像

第395号   門徒の開拓    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/


同じカテゴリー(北海道の歴史)の記事画像
三平汁と石狩鍋
留萌のニシン漁場
顕正寺の古い掛軸、紋別太子講
士別市 教信寺の象さん 
北海道の御真影奉安殿
釧路の聖徳太子講
同じカテゴリー(北海道の歴史)の記事
 三平汁と石狩鍋 (2017-04-16 07:28)
 留萌のニシン漁場 (2017-02-16 07:54)
 顕正寺の古い掛軸、紋別太子講 (2016-11-20 08:37)
 士別市 教信寺の象さん  (2016-09-19 13:20)
 北海道の御真影奉安殿 (2016-09-09 08:00)
 釧路の聖徳太子講 (2016-05-25 20:22)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
削除
北海道開拓と門徒衆
    コメント(0)