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2010年10月25日

カニとホタテの話し

オホーツクもんべつの食育
 紋別のカニとホタテ(まとめ)





































































オホーツク三大ガニのまち 今から何十年も昔に見られた紋別の風物詩に「カニ拾い」がある。流氷が去って漁が始まる3月から4月の頃に、「毛ガニ」がうじゃうじゃ砂浜に上がって来て、1斗ガンガンでひとつ2つとたくさん獲れた。紋別地方では大正5年から缶詰製造が試みられ、翌年からはカニ缶用に盛んにカニ漁が行われたが、それはもっぱら移出用の「タラバガニ」で、小型の「毛ガニ」は商品価値に劣った。当地でも「タラバ缶」が造られるようになったのは大正13年のことで、これが紋別での本格的な缶詰製造の始まりである。しかし、乱獲からタラバガニの資源が急激に減少してたびたび禁漁になると、「毛ガニかご」が開発されて、昭和10年頃からは「毛ガニ缶」も作られるようになり、その後の昭和40年頃からは姿の「煮ガニ」や「活ガニ」へと変って、今では「毛ガニ」も高級品となった。「ズワイガニ」は、昭和30年代に沿岸で若干が漁獲されていたが、地元ではほとんど食べられず、同39年から主に道外向けに沖合底びき網船が漁を本格的化し、沖合、そして遠洋へと拡大して、道内他地域に比べても早くに毛ガニに代わるカニ缶として盛んに加工されるようになった。さて、カニ缶の製造と云えば「小説・蟹工船」が良く知られるが、「蟹工船・博愛丸」の船主として、そのモデルとなった人物が紋別にいた。彼は大正8年に、それまで試行が繰り返されていた船内でのカニ缶の製造ラインを完成させ、以後の同業の勃興を生んだ立役者であり、自らも同12年に蟹工船事業に着手したもので、博愛丸事件が起こったのは、大正15年である。その後、水産局の役人となっていた昭和4年に、地元の要請を受けて道内でも2番目という、紋別地方で初めての冷蔵庫の建設に尽力、また、当時、盛んであった海外向け缶詰製造を当地で手掛けるなど、道内各地の水産業に残した業績は大きく、彼の一生は、そのまま日本の缶詰史だったと云えよう。6月22日は『カニの日』 6月22日は「カニ座の初日」で、五十音順ではカは6番目、ニが22番目だからだそうだ。さて、紋別では流氷が去り、毛ガニとタラバガニ漁が始ると春の訪れで、そして当地は、ズワイガニを中心としたカニの輸入が、4年連続日本一の『カニのまち』である。紋別漁協は、毛ガニに『北海道・オホーツク紋別』のタグを取り付けて品質を保障し、『洞爺湖サミット』ではディナーにも使用されて話題となった。 紋別のタグ付き毛ガニ もんべつの帆立貝~当地のホタテ漁の歴史 北海道を代表とする北海道らしい魚介類としては、古くは「三魚」と云われたサケ、マス、ニシンや「俵もの」と呼ばれる中国向けのいりこ、干あわび、コンブなどがあり、北海道の特産品であるホタテも、すでに幕末には干貝柱として登場し、明治に入って盛んに中国へ輸出されて現在に至っている。蝦夷地を北海道と名付けたことで知られる松浦武四郎が、その頃の寿都のアイヌ人の民話として『たくさんの海扇(ほたて) が、フタを帆にしてやって来た』と記しており、箱館奉行所の栗本鋤雲も、「蝦夷の三絶」のひとつとしてホタテの干貝柱をあげている。また、あのペリーが箱館に来航したとき、珍しいとホタテの貝殻をアメリカに持ち帰って、それは後の1857年にJohn.C.Jayによって、学名 Patinopecten yessoensisと命名されたと云い、yessoensis とは「蝦夷」のことで、蝦夷櫛皿貝=北海道の櫛柄の皿のような貝を意味する。さて、一説に紋別では明治13年頃、盛んにホタテを漁獲したと云うが、これはナマコ漁での、混獲によるものと思われ、専業的にホタテ漁が始められたのは同25年からであり、この初期のホタテ漁の中心は小樽方面から廻航した石川県人などの北陸衆で、川崎船によるものだった。また、別の記録では『明治26年、青森県人・握味久之助が高島から八尺を持てってきて漁を始めた』ともあって、こうしてホタテ漁は北見地方を代表する一大漁業となり、昭和10年の当地での水揚げ15,691㌧は、戦後の長い間、日本記録であった。しかし、ホタテ漁は当初から乱獲などで、好不漁と禁漁を繰り返し、昭和9年にサロマ湖で開始した採苗試験は同11年から大掛かりなものとなって、これを「地まき」したのが管内のホタテ増養殖の始まりであり、その後、紋別では現在の基礎となる実証的な試験が何度も繰り返された。そうして昭和49年、50年には休漁にして稚貝を本格的に放流し、同51年からは4年毎の輪採制として再開されて、このようにホタテ漁は次第に増産・安定した。最後に大正の中頃には既に「紋別八尺」が広く知られていて、それまでの爪の長いマグワ桁網とジョレンとを組み合わせた5本爪のホタテ専用の鉄製漁具は、今もある小樽の「一鉄鉄工所」が開発したものである。 北見國紋別郡内漁業實況/北水協會報告第七拾七號/明治26年 北海道漁業冩眞帖/昭和12年 ホタテ桁網(通称:八尺) タウリン 食育のすすめ 魚食のすすめ 総合学習 ホタテの歴史 カニの歴史 




































第213回 紋別の漁業を知ろう      北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/


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