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2010年05月04日

弟子屈の奉安殿

どんどん続く、奉安殿の探索
~大型連休の旅 1/6

弟子屈の奉安殿弟子屈町の奉安殿 2010年3月~5月調査 協力:弟子屈町教育委員会 北海道文化財保護協会 釣山 史 昨年(平成21年)、惜しくも屈斜路湖畔の和琴神社として利用されていた1棟が、老朽化のために取り壊されたが、それでも道東の弟子屈町には、現在でも3棟の奉安殿が現存する。昭和に入ってからの奉安殿の多くが、コンクリート造りであるのに対し、弟子屈町の奉安殿は、いづれも木造であり、奉安殿が現存する集落の高齢者が「奉安殿はどれも似たもの」と証言するように、この3棟は、造りがたいへんよく似ている。中心校にあったものを模倣したのか、あるいは施行業者が同じであったか、切妻造り平入りの破風に施された細工と配置される旭日の特徴が一致している。てしかがの蔵(資料館) もともと仁多地区にあったものを、市街地の資料館へ移転して展示したもので、その時に彩色が施された。この資料館には、教育勅語謄本もあるという。仁多地区 ちょうど交換されたかのように、市街にあった奉安殿は、郊外仁多地区の国道243号沿いに移転された。現在は、地区のお社として利用されている。旧札友内小学校跡地 奉安殿は、戦後も移転されずに学校敷地内にあったといい、たぶん内部を改修されて、倉庫として利用されたのだろう。その後の学校の建て直しに際し、若干、移動して国道243号沿いの現在地に至る。
第175号 弟子屈町の現存する奉安殿    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

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