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2009年10月08日

網走刑務所の洞窟

網走の洞窟遺跡

 網走市立郷土博物館では、この9月27日に「網走の史跡めぐり」と称した網走市大曲周辺の巡見を行った。そこで秘所中の秘所、めったにお目にかかれない隠れた遺跡を見学したので紹介する。

網走刑務所の洞窟 大曲洞窟は、網走刑務所の刑務官舎の裏手、丘陵の岸壁にある海侵食で形成された道内では比較的に大規模な洞窟である。その発見は昭和16年に、テニス場を設営するために囚人が土砂を採取していたところ、忽然と現われた小穴がみるみる大穴となって、このときにモヨロ貝塚を発掘中であった北大の児玉教授が調査に入った。後に昭和39年にも再調査が行われている。
 洞窟の入口の高さは3.5m、幅1.7m、面積が83㎡あり、炉跡から採取された木炭は、約6,800年前との年代測定であり、人工物は土器、石器、骨角器、貝製品と、自然物としては、獣骨、鳥骨、魚骨、貝殻が出土した。
 また、多数の人骨が出土しており、時代によっては住居のほかに墳墓としても使用され、内壁には文様のものも見られるが、それが絵文字か、自然現象によるものかは意見が分かれる。 

 
参考~北方文化研究報告、日本大百科全書


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網走刑務所の洞窟網走刑務所の洞窟網走刑務所の洞窟
















左から網紋式土器、北筒式土器、石器(石槍)
網走刑務所の洞窟網走刑務所の洞窟網走刑務所の洞窟












 第151回 道内ではめずらしい洞窟遺跡  北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/






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Posted by 釣山 史 at 22:46│Comments(0)オホーツクの歴史
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