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2015年03月07日

著名な蟹工船

缶詰のお話し、補足


◆小林多喜二の蟹工船のモデル・博愛丸 博愛社(現日本赤十字社)がイギリスで建造し、昭憲皇后(明治天皇妃)が命名した。戦時の病院船として、広く国民に知られ、平時には日本郵船が旅客船として使用した。大正15年には林兼(旧マルハ)へ売却されて蟹工船となり、小林多喜二の蟹工船のモデルとなる。以後、漁業会社を転々、昭和20年6月18日、千島の幌筵島を出港したところを米潜水艦アポゴンによって撃沈された。 ◆移民船として活躍した笠戸丸 笠戸丸は、日露戦争のときに旅順で被弾し、拿捕されたロシア船で、明治41年に最初のブラジル移民を運び、大正14年には最後のハワイ移民を輸送した。のちに日本水産の蟹工船として活躍し、昭和20年8月9日、カムチャッカのウトカ沖でソ連軍に拿捕され爆沈する。北原ミレイの石狩挽歌の一節に“沖を通るは笠戸丸 わたしゃ涙でニシン曇りの空を見る”とある。 ◆敵艦隊見ゆ、日露海戦を勝利に導いた信濃丸 日露戦争で徴用された日本郵船の信濃丸は、バルチック艦隊を発見し、「敵第二艦隊見ゆ」の第一報を打電して勝利に導いた。同船で永井荷風が北米へ渡り、孫文が日本へ亡命し、水木しげるを南方へ送って大岡正平が復員した。この間、太平洋漁業や日魯漁業で蟹工船、魚糧工船として活躍、二つの戦役を生き延びた不沈船は、戦後、青函航路を走ったこともあり、寿命を全うしてスクラップになった。
第371号 蟹工船、いろいろ      北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/


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