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2008年07月06日

エッセイ、司書力を磨け!

~古本ぐるいの戯言3

 高校生のころには1週間、毎日1冊読破に挑戦したり、「つかこうへい」にハマって読みふけり、今では歴史の考究が高じて古本に熱中し、郷土誌を中心に、自然とアイヌ文学や戦前の北海道文学にも明るくなった。毎月必ず1~2冊は送られてくる古書目録が楽しみのひとつで、古本代の下じきとなる所以であるが、バブルの頃には投機ともなった「古書、書画」も、このところの景気の低迷から販売が落ち込み、また、学生の減少と彼らの不勉強さも売上不振に拍車をかけて、よって価格の低下から私ごときも購入可能となったもので、今では手元に貴重なものも多い。
 私の様に郷土誌に特化した者(私はコレクターではないが)には、その荷動きに波があって、最近はその動きが鈍く、触手の伸びる欲しいものが見当たらない。数年前には研究者の蔵書の処分が相ついで、その内から私のところにも数冊がやって来たが、これは不謹慎ながら誰かがお亡くなりになると流通するということで、また、一時期は公立大学が独立行政法人となったことから資金稼ぎの蔵書の放出が行われ、このときに一生に1・2回あるかないかのチャンスもあって、高額本の購入に貯金もふっとんだ。
 さて、私も短期間ではあるが図書館に配属となったことがあり、それに歴史の探求のためから結構、あちこちの地方図書館を巡っている。この地方図書館では「図書館まつり」などで古本市をやっていたりして、このごろはご無沙汰であるが以前は良くこれを利用した。驚いたことに戦前の貴重本が古本市のタダコーナーに並んでいたり、時価数万円の本が100円だったりもして、先にも述べたが大学が流出させることも多い。
 子どもや若い世代の読書離れが叫ばれて久しいが、実際には大人の未読率もヒドイもので、理解力(読解力)の低下には目を覆うばかりで、また、近々は書店や図書館に新聞の書評や広告を手に来所する者が多く、そのヒトまかせのランキングに頼った選書にはヘトヘトである。
 これは図書館の司書にも云えることで、単に貸出数を増やすためか、はやり本ばかりに気がいくばかりで、本人は気づいていないが、新たな選書は2年もたたずにほとんど手に触れられなくなってしまう様な、一部のヒトのための三文小説が中心となっていることが多い。そうして結果的には読書者の固定化につながり、これに司書の個人的趣味が加わってくると、もう目も当てられず、いかに良本を選択し、紹介するとかと云う基本的に求められる司書力が低下している。
 ここにはもう一つの問題がある。それは読書機会を増加させることが図書館としての命題であり、その効果を要求されるあまりに、唯一数値として表わされる「貸出数」の追及に走るのであり、走りざるをえないとも云える。仮に図書館機能が総合的に向上して利用者が増加したとしても、遊びに来館する子ども、散歩がてらにやって来た高齢者、ビジネス書や学習書を閲覧する者はカウントされないし、郷土誌や研究書、美術書、図録などの貴重書や高額本は貸し出し禁止なのである。
 近隣には地域の文化・情報センターとしての使命感のなか、利用者低下で必死な図書館がある。財政の苦しい町では行政のスリム化が必要とされ、せっかく同設であった児童館が閉鎖された。子どもらとその親たちの利用が大きく減った一方、図書購入費は抑制され、指定管理者制度(田舎では専門的資格者の確保がむずかしい)への移行圧力が高まる。この蔵書は少ないが地元情報の集成に優れた小さな図書館では、図書館の枠を超えた社会教育の中核施設たろうと日夜努力している。
 しかし一般的なお話しとして、狭義・狭意でしかない図書館では「読書機会の増加」=「貸出機会の増加」と結びついて、読書の全体的な向上とはならずに質を問わない、俗に迎合した単なる貸本屋へと成り下がり、一番の使命である良本の紹介やその保存はなされずに、絶版となった優良図書や郷土資料が廃棄され、せっかく寄贈された「いわゆる文献的なもの」はお蔵入りとなってしまう。
 とある著名な図書館長さんとお会いする機会があって伺ったお話しをふたつ紹介する。
 ある超一流国立大学の学生が司書実習に来た。そして学生はこの図書館は程度が低いと云う。自分が知る本が全くなく、たいしたことはない図書館だと云うのだ。その一丁前の言動に、試しに日本文学全集を点検させてみたところ、驚いたことに「夏目漱石」を知らないばかりか、名作と呼ばれる作品をほとんど読んでいないことが判明、それでも「僕は図書館学を学んだ一流大のエリートだから、この一地方都市で幹部となって、教育に貢献する」とのたまわったそうだ。文学は受験の必須性に薄いが、それにしても程度が低いのは彼自身である。
 もうひとつのお話し。この方が館長に就任する以前に、たまたま図書館を訪れたところ大掃除をしていた。外出しされたその古い本箱をひょいと開けて見ると何と江戸時代からの古書がたくさん、古くて汚いから捨てるのだと言う、廃棄をやめさせて後で分かったことだが、それには日本で数冊しかない、非常に貴重な学術書が混じっていたそうで、大ベテランの司書さんいわく、「私が入ったときから倉庫の片隅に置かれていた」と云う。
 極端な例ではあるが、これに近いことは各所でめずらしくないからイヤハヤで、そう言えば、ウチの図書館で貰いっぱなしで眠っていた水産図書の数々、どうしちゃったのかな、せっかく私が分類整理したのに。きっと管内一の水産蔵書となるであろうに。


-意見のある方へ- 
 私は司書でも学芸員でもないが、この「歴史の探究」で得たもを通じて、何か社会に還元できればと活動している。実際に文献の照会もあり、他のページを見て判断されたし。


 第64回辛口論評、読書力と司書力を問う!

北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

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Posted by 釣山 史 at 05:47│Comments(0)持論、討論
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