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2014年10月18日

缶詰の話し6


②小林多喜二の小説『蟹工船』 ~鬼監督のモデル この頃のカニ工船は、制度上は漁船ではなく、工場でもないという曖昧なもので規制が難しく、船室環境は悪く、確かにリンチはあったし、栄養不足や長時間労働などから死者や傷病者を多出したが、当時の日本社会には人権などという考えは無く、前時代的な使用人制度が残っている状況にあっては、このカニ工船が特異・突出したものでも無く、道路や鉄道工事など、いわゆるタコと呼ばれる労働者たちが虐待とも云える労働搾取にあっていた。むしろカニ工船は“九一金”という歩合があって、高収入だったのである。小説『蟹工船』は、多喜二の詳細な取材と調査によるもので、ノンフィクションかと思われがちだが、そのモデルになった『博愛丸』は日露戦時の病院船として広く知られており、たまたま、客船として多喜二が住んでいた小樽へ来航したとき、火災を起こして話題となっていた。そして鬼監督とされたモデルの松崎隆一は、長崎県水産講習所の第一期生で、国内始めて缶詰を作った松田雅典の製造所を経て、堤商会ではカムチャッカでの缶詰事業に関係した。その後、農商務省水産講習所嘱託として練習船を指導し、船上でのカニ缶詰製造ラインを完成させた。大正12年には自ら工船事業に着手して“博愛丸事件”が起きたのは同15年である。このように隆一は工船蟹漁業を象徴する人物であり、これらを背景にしながら、もちろん、博愛丸でも虐待はあったが、この小説の中に出てくる非人道的な事件の多くは、他のカニ工船であったことがモチーフとされ、事実に基づきながらも特異な事件を寄せ集めることで相乗し、誇張されて作られた“あくまでプロレタリア作品”である。その後、水産局の役人となっていた昭和4年に要請を受けて北海道紋別へ移転し、道内で2番目とも4番目ともいう最新式のこの地方で初めての冷蔵庫の建設を指揮し、当時の学会誌でも紹介されるほどだった。隆一は海外向け缶詰を生産し、水産物だけではなく地域の農産物加工を手掛けるなど関係した事業は全国40に及び、道内各地の水産界に与えた業績は大きく、公職は50余り、紋別では人望も厚く、特に文化・スポーツ事業における功績は多大であり、戦前の鴻之舞遺構となる武道場を市内へ移築し、それは現在も使用されて文化財級である。晩年は、穏やかで人懐こい人間味豊かな好々爺だったようで、彼の一生は、そのまま日本の缶詰史だったと云える。◆紋別市水産課、北海道産業考古学会員、北海道文化財保護協会 釣山史 昔、甲殻類は北米で卑しい食べ物とされ、エビに比べても、なおカニは食べなかったようで、それを食として広めたのが根室のカニ缶詰だったのです。仕事柄、水産系に知人は多いのですが、その時々の漁労・加工や輸送技術、社会背景も含めて語られる方には、中々お目にかかれない。“蟹工船ブーム”のときには、海外メディアの取材も受けましたが、小説『蟹工船』は、帝国資本主義が極まった時代を如実に著すものです。この10月に紋別市で開催された「第26回北海道演劇祭」では、地元劇団が、鬼監督のモデルとされる松崎隆一を題材に公演しました。今もなお慕われる松崎翁は、人格者であり、晩年は人間味豊かな好々爺だったようで、小説『蟹工船』は、事実に基づきながらも、あくまでプロレタリア作品なのです。 晩年の松崎翁 紋別公園の顕彰碑・望洋之碑
第368号 缶詰のお話し      北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

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