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2014年08月10日

缶詰の話し3


~堤商会の登場 明治39年、堤清六と平塚常次郎は、アムール河畔のブロンゲ岬で運命的に出会った。堤清六は、カムチャッカを有望と見て堤商会(後の日魯漁業㈱)を設立すると明治40年に初出漁した。明治43年には邦人で初めて現地に缶詰工場を建設してハンダ付けの鮭鱒缶詰製造を始めたが、これが契機となってカムチャッカに缶詰工場を開設する邦人が続出した。堤商会は、大正元年に本拠を函館へ移し、大正2年はカムチャッカ工場の製缶と原魚の裁割から箱詰め梱包までをほぼ自動化して日本初のサニタリー缶詰を量産、主に英国を中心に欧州へ輸出したが、おりしも第一次世界大戦が勃発して需要は増大した。そうして堤商会は、北洋操業のさらなる効率化と自動製缶機の余力活用のため、製缶機を函館へ移設して大正4年に日本で初めて空缶生産を専門的に始めると翌年からは一般需要への供給を開始した。また、後に製缶専業として創業した東洋製缶㈱は、小樽と函館に工場を建設したが、堤商会は、これを買収し、北海製缶倉庫㈱(後の北海製缶㈱)を設立して道内製缶を一手に請負うことになった。 中外商業新報 大正7年8月 (三)缶詰業の現状 略 当時即ち昨大正六年の缶詰工場はウシチカムチャッカ及ヤイナに露人デンビー氏三ヶ所、日露漁業会社はウシチカムチャッカ、オパラの二ヶ所、輸出食品会社はヤイナゴセゴチックに二ヶ所、堤商会はオゼルナヤ、ヤイナ、ゴセゴチック、キシカ、オコックに六ヶ所、グルセツキー会社キシカ、オゼルナヤの二ヶ所等重なるものにして外に菅沼、袴、進藤等の工場あり昨年に於ける缶詰の各個生産額を挙ぐれば左の如し デンビー商会 一八九、七三〇箱  日露会社 四一、二四〇  グルセーツキー会社 四五、六三四  輸出食品会社 五一、三七二  菅沼商店 七、九〇三  進藤商店 二、八六一箱  袴商店 二、五七二  堤商会 一六九、六八九  合計 五一一、〇〇一  以上の内堤商会、デンビー商会、輸出食品、グルセツキー、日露漁業等は何れも最新の缶詰機械一工場に二ライン乃至三ラインを据え付け最も完備せる設備を有せり 略 露領でのサケ・マス缶詰製造高 デンビー商会(北洋漁業) 明治43年9,300函 大正2年54,322函 大正4年105,000函 大正7年99,974函 堤商会 明治43年704函 大正2年28,561函 大正4年47,249函 大正7年178,285函
第363回 缶詰のお話し      北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

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