さぽろぐ

  文化・芸能・学術  |  その他北海道

新規登録ログインヘルプ


2014年08月08日

缶詰の話し1


道内缶詰小史 1.サケ・マス缶詰 ①缶詰事業の始まり ~官営工場・別海缶詰所 現在、釧路のマルハニチロ工場では、日本のサケ・マス缶の7~8割強を生産しているという。さて、国内での缶詰製造は、明治4年に長崎の松田雅典がフランス人のデュリーから製法を学んでイワシ油漬缶詰を試作したのに始まる。明治8年には手動式の製缶機がアメリカから輸入され、これは開拓使石狩缶詰所と同別海缶詰所を転々とした。本格的な缶詰生産の開始は、明治10年10月10日(缶詰の日)の石狩缶詰所における鮭缶詰製造であり、北海道の豊富な水産資源を利用した殖産のためには缶詰事業の振興が必要であり、開拓使は、ほかに厚岸、択捉紗那、苫小牧美々に工場を開いて別海には当時の建物が現存する。石狩缶詰所を試験工場とすれば、別海缶詰所は経済操業を目指したもので、徳川将軍家への献上品として良く知られた「西別鮭」を製品化したのである。後に別海缶詰所は大漁場主の藤野家に引き継がれ、明治34年には、自動缶詰機がアメリカとカナダ、ゴム巻締機械をドイツから導入し、さらなる量産体制が整った。また、わずか2年で休止していた紗那缶詰所も後に再開され、明治20年に栖原家に引き継がれて別海缶詰所の元会計主任を工場長に迎えてからは見るべきものがあった。そうして日清・日露の戦役を経て、海陸軍から安定的に受注を受けるようになると藤野家では標津、根室、国後、択捉、東京日野などに事業を拡大し、こうして未だ国民に馴染みが薄かった缶詰が、兵役を通じて全国へ広がることとなり、また、根室・釧路地方が、缶詰生産の主産地となって行った所以でもある。 呉鎮第二二〇〇号 糧食貯蔵用トシテ購買之戦報告 略 呉鎮守府司令長官子爵中牟田倉之助 海軍大臣子爵樺山資紀殿 呉監第六一一号 調査書 一鮭鱒缶詰 九万斤 右ハ海軍糧食条例第九条ニ依リ貯蔵スヘキモノナルニ付其品質善良ハ勿論永ク保存ニ耐ヘ実用ニ適スルモノヲ以テ最モ主要トス然ルニ北海道根室国野付郡別海村缶詰所藤野辰次郎及ヒ同道千島国択捉島栖原角兵衛製造ノモノハ従来ノ成績ニ徴スルニ右ノ諸要素ヲ具ヘ製造上特殊ノモノト思考ス依テ之ヲ購買スルニ当リ会計法第二十四条第四項ニ拠リ該製造者ニ対シ随意契約ヲ為スハ妥当ナリト認メ候也 明治二十五年七月四日 呉海軍会計監督部長海軍主計大監八洲 亨 旧開拓使缶詰工場屋 スター印の戦前のホタテ缶詰 藤野缶詰所の戦前広告 別海缶詰所を引き継いだのは、幕藩後期から明治にかけて道内漁場の凡そ1/3を差配した藤野家だった。
第361回 缶詰のお話し      北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/


同じカテゴリー(北海道の歴史)の記事画像
マルキ号パンと海軍飛行場
御真影奉安殿
三平汁と石狩鍋
留萌のニシン漁場
顕正寺の古い掛軸、紋別太子講
士別市 教信寺の象さん 
同じカテゴリー(北海道の歴史)の記事
 マルキ号パンと海軍飛行場 (2017-06-23 07:07)
 御真影奉安殿 (2017-05-11 20:32)
 三平汁と石狩鍋 (2017-04-16 07:28)
 留萌のニシン漁場 (2017-02-16 07:54)
 顕正寺の古い掛軸、紋別太子講 (2016-11-20 08:37)
 士別市 教信寺の象さん  (2016-09-19 13:20)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
削除
缶詰の話し1
    コメント(0)