2014年07月05日
(再)湧別煉瓦建築群/湧別町
(再)湧別煉瓦建築群/湧別町 またまた、友人と近隣を巡見しました。 かっては世界のハッカの7割を産出した北見地方。その代表的な産地でハッカ成金を輩出した湧別村は旧名寄線と湧網線の分岐点でもあり、また、“北限のリンゴ“として良く知られ、現在も地域には倉庫のほかのレンガ建築が多く残る。熊本県出身の屯田兵であった藤島倉蔵は、湧別川が運んだ重粘土を利用してレンガを製造しようとカネ辰鈴木商店の支援を受け、大正7年に二区高台に「中湧別煉瓦工場」を創立した。それは鈴木商店が手広く北見ハッカを扱った関係からハッカ栽培に熱心であった湧別兵村とは関係が深く、また、蒸留釜にはレンガが有効であったからであろう。工場長には熊倉栄松、職工長に成沢某らがレンガの先進地であった野幌から呼び寄せられた。大正9年には栄松が経営を譲り受け、昭和16年に渡辺亀助が工場を買い取って、現在は「興農セラミック」へと引き継がれている。
第359回 レンガの魅力 北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
Posted by 釣山 史 at 09:56│Comments(0)
│古民家・古建築
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