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2013年03月23日

武林写真館 弁慶号

武林写真館 弁慶号

『明治十三年小樽入船町付近汽車試運轉ノ景』 明治十三年十月廿四日第二機関車辨慶號試運轉小樽港町表水天宮隧道ヨリ入船町陸橋ヘ差懸リタル図 ~とても貴重で有名な生写真を入手した。 明治13年10月1日、手宮から軌条の敷設が始まった官設幌内線は、熊礁第四隧道までの工事を終えて、この日から試運転を開始した。 今でも山坂が多い小樽であるが、途上にあった頃は、現在の中心街も写真の通りであり、山を削り、丘を切り崩して谷を埋め、凹凸を均したのである。その時のディベロッパーは榎本武揚が率いた北辰社である。 写真台紙に、地方費印、武林支店 札幌北1西7とあり、のちの開道五十周年式典のときに用いたものか? 武林写真館(盛一) 弘前に生まれ安政5間に箱館へ渡り、のち箱館奉行所の足軽となる。明治元年に函館府に、同2年には開拓使に等外で出仕する。この間、出入する外国船船員に写真技術を学んで職を辞し、先駆者の田本研造の支援を得て、明治4年に写真店を開業した。 明治5年、札幌へ向かい南1西3の開拓使脇本陣内に写真館を出店し、技術を請われて開拓使御用技師となり、翌年には一五等出仕を命ぜられたが辞して非職となる。この頃、札幌本府では緊縮財政のために大不況に陥り、地方へ出稼ぎ撮影を行ったりもした。 明治8年に札幌で写真館を再開し、翌年には新たに南3西1へ店を新築して事業を拡大した。明治17年に高弟・三島常盤の長男を養子に迎えて東京へ転出し、麹町に写真館を開業して、同20年には正式に札幌支店を常盤へ譲渡した。 養子の磐雄は無想庵を号す。芥川龍之介や谷崎潤一郎をも驚かす才能に溢れていたが、無軌道な愛欲と放浪、退廃的な人生だった。南大通西2に生誕の碑がある。










































第339回   北海道にはじめて機関車が走った日           北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

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Posted by 釣山 史 at 21:22│Comments(0)北海道の歴史
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