2013年02月10日
湧別、機雷爆発事件
5月26日の悪夢
下湧別浜、漂着機雷爆発事件 太平洋戦争に突入に、いよいよ戦局が拡大悪化し出した昭和17年5月、湧別のポント浜に漂着した機雷の処理は、戦意高揚の絶好のデモンストレーションとされ、警察署が主導して見学を地元・近隣の学校や住民へ働きかけたことから、見物者のために機雷をロープで引いて移動させるという愚行は、死者106名、負傷者125名という大惨事を生んだ。 当時にあって新聞や雑誌でも大きく取り上げられ、当局も調査に入るなど全国的に問題視され、本道最初の戦時災害救助法の適用を受けた一大事件である。 今回、事件の様子を記した貴重な当時の書簡を発見したので、原文、そのままに紹介したい。資料中、行方不明とあるのは、木っ端微塵の血肉となって飛散し、遺体すらも確認できなかったことを示しており、余りの悲惨な状況に殺してやると警察官へ詰め寄る者もあったという。 (略)当地沼の上(紋別市)より三里位離れたる下湧別の海岸に六(ママ、四月の誤り)月二十三日頃に機雷二箇、波上に浮んで居るのを見出し 六(ママ、四)月三十日頃に道庁の命に依り警防団の聨合に置て 海岸地で爆発させましたが 決定したる時刻外に爆発したので見物人警防団員は大部分は頓死しました。其の機雷発見した当地の写真を 御送り致します。(略) 写真説明 ①海上に浮き流れて居る機雷を見出し 波打岸より砂上に引上げる警防団員の姿、(オホーツク海) ②海上より引上げが終えて、爆発させる日迄の保存状態{海岸なので自然爆発の恐れが在りきと認め、果の図で保存しました(オホーツク海) ③保存中の機口を拡大に写したるもの、直径三尺一二寸、長五尺内外、 ④他の一箇を地方人が海水浴に来て発見して、機口を明細に見て居る様、此の一箇は①の機雷より三十米位離れた所に大部分は砂に埋まって居ったので三日位後に発見しました。其して五米位移動したる様、 ①の機雷が爆発される時刻は 正午にするとの決定にて 警察より見物に来て良いと他方にふれました。 其れで村民も珍らしき物とて見物に行き七十米位離れた砂丘の上で見て居りましたが 丁度十一時半頃 取手に依り場所が悪いので 警防団員は所長の命に従って十米位の所の平地で爆発させる積りで二三米移動した時、砂上に馬車跡の固く地がなって居る所に来て急に振動した際に爆発したので団員は三四十人居る中に半分以上既死 後十人位は行方不明、町村民五十人既死二十人位不明傷重者(ママ)四五十人、死者総計人百人余との伝言でした
自分も公休日なので見物に行かうと思ったが、ついに行かず命拾をしましたよ。 今月に入ってからも、オホーツク海岸の雄武でも一箇爆発、昨日は常呂で爆発しました。 今未だ海上に浮流れる様が見付かり大変に警戒中です~・・・・
第336回 戦中の機雷爆発事件 北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
下湧別浜、漂着機雷爆発事件 太平洋戦争に突入に、いよいよ戦局が拡大悪化し出した昭和17年5月、湧別のポント浜に漂着した機雷の処理は、戦意高揚の絶好のデモンストレーションとされ、警察署が主導して見学を地元・近隣の学校や住民へ働きかけたことから、見物者のために機雷をロープで引いて移動させるという愚行は、死者106名、負傷者125名という大惨事を生んだ。 当時にあって新聞や雑誌でも大きく取り上げられ、当局も調査に入るなど全国的に問題視され、本道最初の戦時災害救助法の適用を受けた一大事件である。 今回、事件の様子を記した貴重な当時の書簡を発見したので、原文、そのままに紹介したい。資料中、行方不明とあるのは、木っ端微塵の血肉となって飛散し、遺体すらも確認できなかったことを示しており、余りの悲惨な状況に殺してやると警察官へ詰め寄る者もあったという。 (略)当地沼の上(紋別市)より三里位離れたる下湧別の海岸に六(ママ、四月の誤り)月二十三日頃に機雷二箇、波上に浮んで居るのを見出し 六(ママ、四)月三十日頃に道庁の命に依り警防団の聨合に置て 海岸地で爆発させましたが 決定したる時刻外に爆発したので見物人警防団員は大部分は頓死しました。其の機雷発見した当地の写真を 御送り致します。(略) 写真説明 ①海上に浮き流れて居る機雷を見出し 波打岸より砂上に引上げる警防団員の姿、(オホーツク海) ②海上より引上げが終えて、爆発させる日迄の保存状態{海岸なので自然爆発の恐れが在りきと認め、果の図で保存しました(オホーツク海) ③保存中の機口を拡大に写したるもの、直径三尺一二寸、長五尺内外、 ④他の一箇を地方人が海水浴に来て発見して、機口を明細に見て居る様、此の一箇は①の機雷より三十米位離れた所に大部分は砂に埋まって居ったので三日位後に発見しました。其して五米位移動したる様、 ①の機雷が爆発される時刻は 正午にするとの決定にて 警察より見物に来て良いと他方にふれました。 其れで村民も珍らしき物とて見物に行き七十米位離れた砂丘の上で見て居りましたが 丁度十一時半頃 取手に依り場所が悪いので 警防団員は所長の命に従って十米位の所の平地で爆発させる積りで二三米移動した時、砂上に馬車跡の固く地がなって居る所に来て急に振動した際に爆発したので団員は三四十人居る中に半分以上既死 後十人位は行方不明、町村民五十人既死二十人位不明傷重者(ママ)四五十人、死者総計人百人余との伝言でした
自分も公休日なので見物に行かうと思ったが、ついに行かず命拾をしましたよ。 今月に入ってからも、オホーツク海岸の雄武でも一箇爆発、昨日は常呂で爆発しました。 今未だ海上に浮流れる様が見付かり大変に警戒中です~・・・・
第336回 戦中の機雷爆発事件 北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
Posted by 釣山 史 at 13:11│Comments(0)
│北海道の歴史
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