さぽろぐ

  文化・芸能・学術  |  その他北海道

新規登録ログインヘルプ


2012年10月09日

戦時遺産、更別と広尾1/2


さて、今回も道東太平洋岸の戦時遺産を巡る右寄りの旅だ。明日は全道的に天気が回復するというので、10月6日の夕に自宅を出発した。今年、最後の探検だろう。 寄り道、帯広でモール泉の「オベリベリ温泉・水光園」で一休みする。中学・高校とこの辺りに住んでいたので懐かしい。昔はジャングル風呂だったような、現在は近代的な健康ランドとなっている。“オベリベリ”とはアイヌ語で、川口が分かれ分かれするもの意味で、近くに「帯広発祥の地」の記念碑が建っている。 今回の一番の目的は更別村の奉安殿であるから、最寄りの道の駅「なかさつない」で車中泊することにした。 翌朝6時に起床。道の駅の駐車場には、30台くらいの自動車が泊まっている。天気は回復し、気持ちがイイくらいの晴天だ。放射冷却のせいか、寒くてあまり眠れなかった。 ◆更南神社(更別村) 途中、旧広尾線跡の橋梁跡、路盤の切れ目を確認しながら、朝一番に最目的地の更南神社へ向かう。戦時中まで、天皇・皇后両陛下のお写真(御真影)や教育勅語謄本などを保管していた奉安殿だが、当時の中更別国民学校(後の更南小学校)では、昭和21年9月に奉安殿を撤去することになったので清和集落ではこれを譲り受け、清和神社(現更南神社)としたのだ。屋根は神社様式に改築されても、鉄扉が奉安殿を物語る。 ◆豊似小学校の二宮尊徳像(広尾町)  皇紀二千六百年(昭和15年)を記念して建立された二宮尊徳の銅像は、戦時の金属不足のため、わずか1年で供出されてしまい、同18年に再び代用備前焼の陶製が寄贈された。製作は、岡山県備前市伊部の窯元・六姓木村家の総本家木村興楽園である。 ※備前焼とは 古墳時代の須恵器の製法を引き継ぐ備前焼は、釉薬を使わず絵付もしない。土味を活かした赤褐色の焼肌が特徴。江戸時代後期には、池田藩の統制によって窯元六姓による製造体制となり、そして今に続いている。









































第315回  太平洋岸、右寄りの旅4          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

あなたにおススメの記事


同じカテゴリー(戦時遺産(旧軍施設と戦時教育))の記事画像
二宮尊徳像と国家主義
御真影奉安殿
ゼロ戦のスペック三面図
教育勅語
御真影の廃止、奉還
北海道の御真影奉安殿
同じカテゴリー(戦時遺産(旧軍施設と戦時教育))の記事
 二宮尊徳像と国家主義 (2017-11-13 16:28)
 御真影奉安殿 (2017-07-22 05:50)
 ゼロ戦のスペック三面図 (2017-07-21 07:20)
 教育勅語 (2017-04-22 19:37)
 御真影の廃止、奉還 (2017-01-30 18:57)
 北海道の御真影奉安殿 (2016-09-09 08:00)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
削除
戦時遺産、更別と広尾1/2
    コメント(0)