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2012年09月23日

釧路と十勝の戦時遺産の旅 1/3

釧路と十勝の戦時遺産の旅 1/3



















































あああ釧路と十勝の戦時遺産の旅 1/3ちょっと右寄り、太平洋岸、道東に残る戦時遺産の旅 1/3 9月15日金曜、仕事を終え、夕6時過ぎに自宅を出立、明後日は天気が崩れるとの予報から、明日中にできる限り回らなければならない。この数年、奉安殿や教育勅語謄本の現存調査を続けており、今回、ある方が私のブログを見て、白糠にも奉安殿があると教えて頂いたので、まずはこれの探索と昭和33年に建築された旧音別町役場庁舎の確認が目的ある。 北海道建築士会から協力依頼を受けた戦後間もない頃の非木造建築物とは、戦後の昭和25年5月に建築基準法が制定され、その最初期の工法によるRC造りを調査しようとするもので、その現存確認の予備調査である。良質なものは、次世代の文化財候補ともなろう。そうして後はオマケでトーチカを・・・、 さて、ほとんど信号につかまらず遠軽市街を通過する。快調。その勢いで、途中、北見での休憩予定を変更していっきに美幌へ走る。美幌温泉は、夜は10時までの営業だ。10時少々前には温泉を出た。ア~あんのん快適。ところが峠下にかかるころから次第に霧が強くなり、ワイパーが必要なくらいの濃霧に濡れて視界が全く遮断される。道の駅の駐車場へ避難した。駐車場の出入口でさえ確認が困難である。車中で就寝。 1日目 紋別⇒美幌温泉峠の湯⇒美幌峠⇒釧路町⇒釧路市⇒白糠⇒音別⇒浦幌⇒豊頃⇒大樹旭浜⇒大樹晩成温泉(宿) (釧路町) 昭和6年竣工の岩保木水門  (釧路市) 新大楽毛のトーチカ すずらん団地のトーチカ ◆釧路町、釧路市 翌朝5時に起床、未だ激しい濃霧であるが、日の光を頼りに出発する。まずは釧路町の岩保木水門へ向かったが湿原に霧が広がり、しばらく待機したのちに激写!! 大幅な時間ロスである。 岩保木水門は昭和6年に竣工したレトロ調の木造上屋が特徴。洪水防止と木材流送のための堰が目的であったが、釧網本線が開通したため、一度も開門していないという。すでに供用は廃止され、湿原のオブジェと化している。美しい。 ここからチョッと右寄り、いやいや、だいぶ右寄りの戦時遺産巡りが始まる。釧路市大楽毛へ走る。 大楽毛では町内をグルグルっと回り、戻ったところに新大楽毛トーチカを発見、な~んだJR新大楽毛駅のすぐ裏手でした。それにしてもカモフラージュが残るトーチカは、痛みが激しい。つづいて同じく大楽毛地区のJR阿寒川橋梁へ向かう。地図の通りに行けない、イタドリが繁茂して視界が利かない…。あっちに行ったり、こっちに行ったり、う~む、残念ながら断念する。はてさて、仕方がなくすずらん団地トーチカへ。新道をくぐり、大楽毛西通ですずらん団地方面に行くと意外と簡単に発見できた。小高い丘にあるトーチカは、保存状態が極めて良い。 (釧路市)すずらん団地トーチカ 釧路町国道391号、JR遠矢駅から新釧路川へ 岩保木水門 濃霧で視界不良、しばらく様子見。釣りとカヌーツーリングで有名らしい。水門は、上部構造がレトロで趣のある木造造り、扉が2門ある。大正9年の釧路川の大洪水を契機に昭和6年に竣工した。目的に木材流送があったが、運搬が鉄道に転化され、一度も開門されないまま、供用を終了した。 釧路市の新大楽毛駅海側の住宅街 新大楽毛トーチカ 大楽毛南町内をグルリッと回って、な~んだ新大楽毛駅のすぐ真裏でした。おつむにカモフラージュが残るトーチカは、劣化が著しい。 釧路市大楽毛5丁目、JR阿寒川橋梁の西側  阿寒川橋梁トーチカ 道路が地図と違う、背の高いイタドリが繁茂して視界が利かない。分かりやすいと思ったが、発見できずに無念。 釧路市すずらん団地 すずらん団地トーチカ 国道38号線から新道をくぐり、大楽毛西通で釧白工業団地の山手へ向かう。意外と簡単に小高い丘に発見した。土砂が流入していて内部には入れなかったが、保存状況は非常に良く、コンクリートの質が高いのではないか。 旧泊別小の奉安殿 ◆白糠町、旧音別町 旧音別町役場庁舎 限界集落で目標物も無いなか、丘の上の小さな旧校舎は木々に隠れて非常に分かりにくい。旧泊別小学校奉安殿は、学校敷地に連続した木立ちにまぎれ、ひっそりとたたずんでいる。以前は集落のお社として利用されたようだが、今は、使われずに朽ち果てるのを待つのみである。周辺を行ったり来たりと往復して多くの時間を費やしてしまい、白糠町郷土資料室の見学は取止めとした。 現在は釧路市の音別町行政センター(旧役場庁舎)は、戦後間もない頃に出来た建築基準法にもとづく1950年代らしいデザインのRC建築物だ。あ~なるほどの窓のとり方に2Fのバルコニーが特徴的で、一部3階は望楼か? 写真を写していると“ナニ、撮ってんだ!”と怒鳴られ、公共物の写真を撮って何が悪い!! ぷんぷん。さっそく知人の建築士に送らなきゃ。 白糠町泊別 旧泊別小学校奉安殿 釧白工業団地浄水場の近く。限界集落のなか、閉校後35年を過ぎてもはや看板もない。小山の林間に隠れた小さな旧校舎は非常に分かりにくく、その前を行ったり来たりと多くの時間を費やしてしまった。奉安電は学校敷地に接続する木立ちの中にあり、いっそう発見を難しくしている。戦後は集落の神社として利用されていたようだ。 白糠町東3条南1丁目 白糠町郷土資料室 時間がない、スルーしちゃいました。 釧路市音別町 旧音別町役場庁舎(音別町行政センター)  国道38号線沿いに建つ昭和33年建築のRC造り。窓のとり方に1950年代らしさが残り、バルコニーや望楼?は特徴的。間もなく取り壊される予定。























第312回  太平洋岸、右寄りの旅1           北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

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