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2012年03月18日

ブラキストン、オホーツクを探検

◆紋別にも来たブラキストン(改)  
ブラキストン、オホーツクを探検 さて、意外と知られていないのは、鳥類の研究で有名な、あのブラキストンが明治二年に道東北を巡り、詳細な紀行文を残しているということ。ブラキストンは、新政府から宗谷で難破した英国艦の調査を依頼されて所有船あきんど号で函館を出港、道東の浜中に上陸すると、そこから海岸沿いに宗谷へ至った。
 こうして途中の紋別を通過、彼の記録では当時の紋別場所について、『岩礁が風波を多少防ぐ程度の少し引っ込んだ湾とは言えないくらいのもので、漁場には大きな住宅と役所が1軒づつ、それをアイヌ人の小屋が取り囲んでおり、この時は和船一艘が沖泊めされていた。』とあり、番屋の差配人と船長の話しでは、『オホーツク沿岸は、冬には沖合い3~4里は凍るけれども、宗谷海峡は、日本海からの暖流による海流の速さと暖かさで凍らず、あの大量の氷は、樺太沿岸で結氷したものが、冬の北風によって流れ来るもの…、斜里と紋別の経営は採算が取れないが、他に非常に利益のある標津場所があり、どこか一カ所を放棄すると全てを召し上げられてしまう(山田寿兵衛の請負)。』と聞き取りしている。
 このときの船長は、外国船での経験があり、また、案内人のアイヌの青年は、ヒゲをそり、日本風の髪形をしてカナ文字を書いたとしている。




第297回 ブラキストンの話し(再)          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

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Posted by 釣山 史 at 11:06│Comments(0)紋別の歴史
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