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2015年07月16日

又十藤野家


又十藤野の遺産 近江の四代四郎兵衛の次男・喜兵衛は、天明元年に福山(松前)の親族へ奉公にあがり、寛政十二年に独立して回漕業を興す。屋号を柏屋、家印は又十とした。はじめて文化三年に余市場所を請負い、後に宗谷・斜里、国後、根室、利尻・礼文など、蝦夷地の漁場の大よそ四分の一を経営する一大場所請負人となり、藤野漁場では鮭小舌網、鰊角網を開発するなど、漁業上の大変革をもたらした。最初、福山に本店、箱館を支店としたが、後年、箱館を本店とし、蝦夷地の各所に支店や出張所を置いて、明治に入ってからは白木屋と称して小間物店を開業、道東奥地の商店の先駆けとなった。明治の中期以降、次第にオホーツク沿岸の漁場が不振に陥ると、北洋のカムチャッカへ進出し、道内の各地に牧場を開設するなど事業の多角化を図ったが、家運の回復とならず、大正五年には全事業を休止するに至り、一部農場の小作経営を残して、本拠の近江へ引き上げてしまった。分家の藤野辰次郎が開拓使から引き継いだ藤野別海缶詰所は有名である。道内各地、殊に道東開発に大きく貢献した藤野家の跡を追う。 旧藤野家網走漁業店 望楼など外観は当時を偲ばせる。 旧藤野家迎賓館 明治二八年に建築の建物は、網走神社の社務所として残る。 斜里駅逓跡 運上屋から始まった駅逓は昭和四年まで続いた。 松前の熊野神社に建立の祈願柱(左)。 斜里神社に天保五年に奉納された石灯篭(右)。 旧藤野別海缶詰所 外装は新しいが、躯体部分の多くが当時のもの。 鷹栖の藤野農場跡(住吉神社) 明治四一年に大阪の住吉大社から分霊された御神霊旧藤野社宅。明治四一年に函館に建築の社宅(左右2棟)

第378号  又十藤野家の遺産     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

Posted by 釣山 史 at 19:32Comments(0)北海道の歴史