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2012年11月16日

オホーツクの奉安殿






オホーツクに残る教育勅語と奉安殿 紋別会員 釣山 史・紋別市上渚滑町/上和訓辺 紋別市渚滑町宇津々/八幡宮 紋別市渚滑町/市街地 紋別市鴻之舞/旧喜楽町 小清水町/小清水神社 佐呂間町/仁倉神社 湧別町上湧別/中湧別神社 遠軽町生田原/旧清里小学校隣接地 本岐国民学校(津別町)の教育勅語謄本 湧別町立富美小学校/皇紀2600年記念の尊徳像 教育勅語とは、正式には『教育ニ関スル勅語』といい、明治23年10月に公布され、皇国日本の教育上のシンボルとされ、その教育勅語や天皇・皇后両陛下の御真影などを保管した別棟が『奉安殿』だった。オホーツク管内では、紋別小学校が他地域に比べても早い、同26年7月に教育勅語を奉戴し、翌27年5月には御真影が下賜された。敗戦後のGHQの指導下のもと、昭和21年7月に奉安殿の撤去が決まり、そうして同23年6月19日の衆参議院の議決をもって教育勅語は完全に失効し、文部省は同月25日に教育勅語謄本の回収を通知した。紋別市内 紋別小学校卒S女 『とある日、数人の人夫がやって来て、大きなハンマーを手に手に、無造作に奉安殿を叩き出した。とても頑丈な奉安殿を撤去するのに数日はかかったと思う。登下校時には最敬礼をした奉安殿、教室の窓越しに取り壊しの風景を見ながら、子ども心に感慨深いものがあった。』 旧上藻別駅逓所(紋別市内)/上藻別小学校の奉安庫だったと思われる金庫


































第325回  オホーツクの教育勅語と奉安殿           北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/