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2012年02月08日

南極探検と樺太アイヌ



明治の南極探検6 ○南極探検で活躍した樺太アイヌ
・樺太アイヌの山辺安之助(ヤヨマネクフ)は、樺太千島交換条約により現在の江別に渡って、対雁学校に学んだ。日露戦争では、日本軍に協力してアイヌ人で最初の勲八等瑞宝章を受ける。探検隊の募集のときには富内村の総代で、同族の地位の向上を志した危険を押しての参加だった。
・花守信吉(シシラトカ)は多来加村の総代で、従軍の経験もあり、日本語が話せた。探検では犬ゾリ隊の御者、海豹狩りなど大活躍であったが、帰還後は不遇であった。
・第二次探検へ向けたソリ犬の補充では、山辺と同郷の樺太アイヌである橋村弥八が、シドニーまで樺太犬に随行したが、探検隊には参加できなかった。
・探検では、樺太犬の毛皮のコートと寝袋、アザラシ皮のブーツが非常に重宝したという。
アザラシを仕留めた花守、山辺、柴田ら 出典「南極記・T2年」 花守?流氷を解かして真水にした 出典「南極探検・T2年」





第293回  樺太アイヌの南極探検         北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

Posted by 釣山 史 at 08:14Comments(0)郷土の語り