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2011年07月16日

又十・藤野番屋

◆又十藤野家/(またじゅう)/柏屋/白木屋、(喜兵衛、伊兵衛、本家=四郎兵衛) 近江の4代四郎兵衛の次男・喜兵衛は、天明元年(1781年)に福山(松前)の親族へ奉公にあがり、寛政12年(1800年)に独立して回漕業を興す。屋号を柏屋、家印は又十とした。 はじめて文化3年(1806年)に余市場所を請負い、後に宗谷・斜里、国後、根室、利尻・礼文など、蝦夷地の漁場の大よそ1/4を経営する一大場所請負人となり、藤野漁場は鮭小舌網、鰊角網を開発するなど、漁業上の大変革をもたらした。最初、福山に本店、箱館を支店としたが、後年、箱館を本店とし、蝦夷地の各所に支店や出張所を置き、明治に入ってからは白木屋と称して小間物店を開業、奥地の商店の先駆けとなった。 明治の中期以降、次第にオホーツク沿岸の漁場が不振に陥ると、北洋のカムチャッカへ進出し、道内の各地に牧場を開設するなど事業の多角化を図ったが、家運の回復とはならず、ついに大正5年には全事業を休止するに至り、一部農場の小作経営を残して、本拠の近江へ引き上げてしまった。 分家の藤野辰次郎が開拓使から引き継いだ別海缶詰所(藤野缶罐所)などは有名である。 藤野家紋別番屋跡 旧藤野家網走漁業店 大きく改築されているが、望楼など外観は当時を偲ばせる 斜里駅逓跡 旧藤野家迎賓館 明治28年に建築の建物は、現在は網走神社の社務所 旧藤野社宅 明治41年に函館元町に建築の旧社宅2棟、一角が社用地 旧別海藤野缶詰所と昭和10年頃のホタテ缶詰 外装は新しいが、躯体部分の多くは当時のもの































第257回 北海道随一の藤野漁場          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

Posted by 釣山 史 at 20:23Comments(0)北海道の歴史