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2011年03月22日

代用品の金次郎

忍びがたきをしのび、耐えがたきをたえ
~日本の復興を二宮金次郎に学ぼう

◆二宮金次郎(尊徳)の像
 道徳を尊び、経営実学を実践した「二宮尊徳」の報徳思想は、勤労(単に勤勉なのではなく、社会に役立つこと)、分度(将来に向けての余剰を図ること)、推譲(分度の余剰を拠出し、相互扶助、ひいては国づくりのためとすること)の3点を基本理念とし、私利私欲が無い社会貢献は、いづれ自らに返ってくると説いたことから、戦前は、勤勉実直、質素倹約の模範として、また、国のため、国家主義の象徴として利用されたりもし、各地の小学校などに銅像が建立された。
 弟子屈町の高齢者が今に語るところ、『わたしの集落の小学校にも、昔は二宮金次郎の銅像があった。それはオジが戦死していただいた死亡一時金を、遺族が国への奉公の証しとして、地域に還元しようと建設したのであったが、やがてそれまでもが供出されてしまい、ひどい時代であった。』と云う。
 ここの昭和19年に建設された旧北鹿追小学校の二宮金次郎像は陶製で、いわゆる当時の「代用品」が現存するめづらしいもの。
◆戦時の代用品
 環太平洋の「ABCDライン」による経済封鎖から太平洋戦争に突入して、それが激戦化、長期化すると資源のない日本国内は、あらゆる物資が不足した。
 特に金属製品は、お寺の鐘や銅像はもちろん、日用品までもが「供出」され、兵器さえもが木製や陶製の「代用品」に置き替えられて行く。それは木製戦闘機や1銭陶貨、10銭陶貨などが良く知られており、陶製のくぎ、ボルトとナット、陶製手榴弾、陶製地雷などもあった。
 この時代は、特に家庭用品としての陶製品の製作技術が著しく発達し、缶詰、フォーク、ナイフ、栓抜、羽釜、ガスコンロ、湯たんぽ、水筒、アイロン、学生服ボタン等々、陶製の鏡もちが登場して、神社で使われたりもした。








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